8273 ルーシー・リー展―東西をつなぐ優美のうつわ―
東京都庭園美術館で開催中の「ルーシー・リー展―東西をつなぐ優美のうつわ―」を観賞。
ルーシー・リーという陶芸家自体は初めて知る存在であったが、関係する人物としてイギリス陶芸界の巨匠バーナード・リーチの名が挙がっていたので、日本とのつながりがあるだろうな…と感じていた。
で、実際に会場で目にした彼女の作品群からは、どこか和の趣や東洋的な静謐さを感じさせるものが多かった。
その洗練された作風の背後にバーナード・リーチの影響があるだろうな…とは思ったが、ちょっと気になることがあった。
彼女はリーチと出会う以前からすでに陶芸家として独自のキャリアをスタートさせていたはずで、いったいどのタイミングで東洋的な表現を取り入れていったのだろうか。

美術館ではそのあたり経過がわからず、帰宅後にあらためて彼女の足跡を調べてみたところ、最初から日本の影響を受けていたわけではないという背景が見えてきた。
ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれたルーシー・リーは、ウィーン工業美術学校で学び、陶芸家としての第一歩を踏み出した。
初期の作品を見ると、当時のウィーン工房の影響が色濃く、まだ東洋的な要素は見られない。
しかし、ナチスの迫害から逃れるためにロンドンへと亡命したことで、彼女の運命は激変する。
第二次世界大戦下のイギリスにおいて、オーストリアからの亡命者である彼女は「敵性外国人」とみなされ、本来の陶芸制作を一時的に禁止されてしまう。
生計を立てるためにやむなくボタンづくりをしているあいだ、当時のイギリス陶芸界の絶対的権威であったバーナード・リーチと運命的な出会いを果たす。
しかし、初めリーチは彼女のウィーン仕込みの洗練された作風に対して、厳しい批判を浴びせたという。

偉大な指導者に認められたい一心で、彼の教えに忠実な作品を作ろうと試みたルーシーだったが、それは彼女本来の魅力を覆い隠し、一時期の低迷をもたらすこととなった。
この停滞期を脱するきっかけとなったのが、ボタンづくりの助手として出会い、後に共同制作者であり弟子ともなったハンス・コパーの存在である。
二人は共に実用的なテーブルウェアの制作に取り組みながら、互いの才能を刺激し合っていった。
ただ、ハンス・コパーの作風は彫刻的かつ極めて現代的であり、ルーシーの東洋的な雰囲気を持つうつわとは対照的だった。
この彼との協働こそが彼女独自のアイデンティティを再確立させたようだ。
後年、かつて彼女を酷評したリーチもまた、ルーシーの到達した独自のスタイルを深く認め、二人は生涯にわたる熱い友情で結ばれることとなった。
こうした波乱に満ちた歴史や人間関係については、おそらく会場内の詳細な解説を読めば理解できたのかもしれない。
しかし、予備知識なしに作品を鑑賞したあとに、点と点がつながるように背景を知るにつれ、「これらのドラマをあらかじめ知っていたら、より一層深い理解が得られたのではないか」という思いも残る。
展示構成する側にも、個々の作品の美しさを提示するだけでなく、作家の人間的葛藤や関係性の変遷を視覚的に伝える工夫があれば、鑑賞する側も興味を持てたのではないかと思った。







