8244 現状維持のありがたさ

日常生活,物思いに耽る(雑感)

今日は、3ヶ月に1回巡ってくる定期検査の日だ。

2つの台風が近づいてきていたから無事に行けるか気になっていたが、ひとつ目の台風が過ぎたあとの合間を縫っていくことができたので、大きな影響を受けずに行くことができた。

今回も大きな問題は起きていなかったようで安堵した。

そもそもの事の始まりは、人間ドックで発覚した眼圧の高さだった。

そこから左目の病気が見つかり、さらに右目も治療が必要となって、硝子体注射や手術など、ここ数年はなかなか大変な日々が続いた。

もう1年以上も経っていた
もう1年以上も経っていた

晴れて「東大卒業」と主治医に言われてから、早いもので、もう1年以上が経っている。

その後は、ありがたいことに、卒業以来は大きな変化もなく、安定した状態が維持されている。

しかし、定期検査のたびに痛感するが、目の病気というものは、どこか他の臓器の病気とは本質的に違う気がしてならない。

この「違い」の本質を言葉にするなら、やはり「代わりがない」ということの恐怖だろう。

他の臓器であれば、万が一何かあっても、現代の医療技術によって人工物で代替したり、機能をサポートしたりする選択肢が比較的残されている気がする。

しかし目の場合、特に網膜や視神経といった複雑な組織に対して、人工的に代替できることは極めて限られているのが現実だ。

また、人間が外部から受け取る情報の8割以上は視覚に依存しているといわれる。

ひとたび目に異変が起きれば、起きているあいだじゅう、一秒一秒その「歪み」や「かすみ」といった症状をリアルタイムで突きつけられ、意識させられ続けることになる。

この「逃げ場のない実感」と「一度失えば取り戻せない不可逆性」こそが、他の病気とは段違いの切実さや、強い心配を生む原因なのだろう。

だからこそ、この3ヶ月に1回の検査、そして現状が維持できていることのありがたさを、あらためて実感するのだ。

Posted by ろん