8233 ”伝わらなさ”という芸術の境界線

博物館・展覧会,芸術・デザイン

東京藝術大学の敷地内にある「藝大アートプラザ」を訪問、

こちらで開催中の三人展「工芸生態系 ーA World in Kogeiー 河﨑海斗 野村俊介 望月嶺」を鑑賞した。

《壁掛け一輪挿し》
《壁掛け一輪挿し》
《朱色和金群》
《朱色和金群》

《壁掛け一輪挿し》という作品の「カニ」の意匠…それがそれがどのような素材で作られているのか…と思いを巡らす。見た感じ金属の硬質感や光沢しかないが、作品のキャプションに目をやると「轆轤(ろくろ)成形、手びねり」とある。

これは驚くべきことに、それは金属ではなく陶芸作品であった。その事実を知るだけで、実はかなりの”超絶技巧”なのだとわかる。

その一方で、《朱色和金群》や《双朱和金》といった作品には「真鍮、銅、樹脂・精密鋳造」との表記があった。

一見すると、金属で成形された金魚に透明な樹脂を流し込んだだけのような佇まいにも映る。現代の工芸界において樹脂という新素材を用いるアプローチは、伝統的な文脈から外れるためあまり歓迎されない傾向にあるという。

しかし、制作者の解説によれば、そこには明確な意図が存在していた。金属の経年による風化を防ぎ、完成した瞬間の一番美しい状態を永続的に保つこと。そして、樹脂の透明度や屈折率を活かすことで、水面の揺らぎや水に濡れた鱗の質感、あるいは袋に満たされた水そのものを表現できるからこそ、あえてこの素材を選択しているのだという。

そもそも、この金魚の色彩自体が「緋銅(ひどう)」と呼ばれる日本の伝統的な金属着色技法によって生み出されている。

これらは、その場ではわからず、帰ってから検索して知ったことだ。背景や技術的な前提知識を持たずに表面だけを眺めていては、作品の本質とはまったく異なる解釈をしてしまいかねないと実感する。

都美セレクション グループ展 2026
都美セレクション グループ展 2026

藝大美術館の陳列館で開催中の展覧会を鑑賞したあと、隣接する東京都美術館へと移動し、「都美セレクション グループ展 2026」を鑑賞。厳しい審査を経て選出された3つのグループによる展覧会であり、入場無料で公開されている。会場には多種多様な絵画、写真、立体的なインスタレーションが並んでいたが、その中で妙に視線を惹きつける一連の作品群があった。

展示スペースにタイトルが直接掲示されていないため、手元の作品リストと照らし合わせる作業が発生する。そこには、いずれの作品にも以下のような素材が淡々と記されていた。

――「山岸さんからもらった布の切れ端、ボタン、糸巻きの芯、針」

山岸さんからもらった…
山岸さんからもらった…
山岸さんからもらった…
山岸さんからもらった…

リストの末尾にある解説によると、この「山岸さん」という人物は、かつて繊維産業に携わっていた個人のようだ。

何らかの切実なメッセージや記憶を訴えかけている気配は漂ってくるものの、目の前に置かれたオブジェクトそのものはあまりにもあっけなく、日常の端切れそのものであり、鑑賞者としてそれをどう受け止めて咀嚼すべきなのか、判断に迷う佇まいであった。

山岸さんからもらった…
山岸さんからもらった…
山岸さんからもらった…
山岸さんからもらった…

もしかすると、そこには歴史的あるいは社会的に重要なメッセージが内包されているのかもしれない。しかし正直なところ、初見の観客に対してその意図がストレートに伝わってくるとは言い難い。とかく現代の芸術作品においては、このような「文脈の壁」によるすれ違いが頻繁に発生する。その隠された意図を謎解きのように探ることも鑑賞の醍醐味(一興)ではあるが、制作者の側は、自らの意図が伝わらない可能性について一体どのように捉えているのだろうか。あるいは、伝わっていないと感じているのは自身だけであり、周囲は異なる理解に到達しているのだろうか。

素材の加工によって鑑賞者を驚かせる工芸の超絶技巧と、素材をそのまま提示することで解釈を委ねる現代美術の寡黙さ…表現における「伝えること」と「伝わること」の距離について、深く考えさせられた。

Posted by ろん