8224 駅の階段での危うい一幕

駅の階段を上っているとき、「ほらお母さん見て!」という前の方からの子供の声が聞こえてきた。
見上げると、小さな女の子がジャンプを繰り返しながら階段を上っていく様子が視界に入った。
女の子が辛うじて足を踏み外さずに着地できているから事なきを得ているものの、ほんのわずかでも着地点がずれるだけで、間違いなく階段の下まで転げ落ちていくであろう極めて危うい状況である。
しかし、階段の最上段にいる母親らしき女性は、一心にスマートフォンの画面を見つめている。声をかけられた一瞬だけ娘の姿にチラリと視線を向けたものの、すぐにまた手元の画面へと意識を戻してしまった。
目の前に迫る明確な危険に気づかない母親の関心は、完全にスマートフォンに奪われているように見えた。
きわめて危険な状況が、いま娘に起きているということが認識されていない。
これは単に関心が画面に向いているからなのか、それとも状況の危険性を察知する能力自体が希薄になっているからなのか…?
よほど「危ない」と声をかけようかと思われた瞬間だったが、幸いにも女の子がジャンプをやめたため、そのままその場を立ち去った。
つい先日も、回転寿司店で寿司に洗剤を吹きかけたとして、威力業務妨害の疑いで43歳の男性が逮捕された事件が世間を騒がせたばかりだが、あの問題行動の背景にもスマートフォンの存在が前提となっている。
言うまでもなく、技術そのものに罪はなく、それは単に使い方の問題に過ぎない。スマートフォンのもたらす功罪を天秤にかければ、利便性や社会インフラとしての「功」の側面が圧倒的に大きいのは紛れもない事実だ。
しかし同時に、その「罪」の側面もまた、身近な日常のあちこちで確実に存在するという現実を、目の前で、まざまざと認識させられた気がした。