8211 免罪符としての”AI作成”プレゼン資料

先日、部署のキックオフがあり、今年度の方針などの発表を聴いた。昨年と大きく異なっていたのは、ステージで使われたプレゼンテーション資料の多くが、生成AIを用いて作成されていた点だ。
興味深かったのは、発表者のうち数人が「あえてAIを使って作った」と公言し、作成がいかに簡単であったかを強調していたことだ。資料作成におけるAIの有用性はすでに広く知れ渡っており、いまさら声高にアピールする必要もないのではないか、という違和感が残った。
少し穿った見方をするならば、彼らが「AIの便利さ」を強調するのは、資料作成にそれほど時間をかけていない(楽をした)ことに対する、一種の免罪符としての心理が働いているのではないか、とも邪推してしまう。
確かに出来上がったスライドは、一見すると綺麗に整っている。しかし、大半は文章量が多すぎてスライド毎の情報が過密になっており、結果として「何かが書かれていた」という漠然とした印象しか残らない。見栄えの良い資料が作れるということと、それが聞き手に「伝わる」かどうかは全く別の問題である、という事実を否応なしに思い知らされる。
この問題の根底には、AIに対する指示(プロンプト)の出し方があるのではないか。おそらく、内容の構成をAIに丸投げしてしまったのだろう。だからこそ、AI側も必要と思われる情報をただ網羅的に盛り込んでしまったのだと考えられる。
聞き手に何を訴えたいのか、主導権を持つ人間側が明確に論点を整理し、それをAIに的確に指示しなければ、焦点のぼやけた資料量産に繋がってしまう。
この現状を振り返ると、自分自身のAIの使い方についても反省すべき点があると感じる。
すでに実務において「AIのない世界」へ戻ることは考えにくいが、それを道具としていかに真に使いこなすかという点においては、社会全体も含めてまだまだ発展途上の段階にあるのだと実感した。