8193 展覧会「モダンビューティー 近代の化粧文化」

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「モダンビューティー 近代の化粧文化」
「モダンビューティー 近代の化粧文化」

銀座のポーラミュージアムアネックスで開催中のポーラ文化研究所50周年記念展「モダンビューティー 近代の化粧文化」を観賞。

日本の化粧文化史を明治から現在に至るまで、実際の化粧品や写真等とともに辿っていく。

1 時代を写す
明治時代の美人写真コンテスト
明治時代の美人写真コンテスト
大正から昭和時代にかけてのポスター
大正から昭和時代にかけてのポスター

明治以降、男性の断髪、洋装が急速に浸透した一方で、女性の洋装化の進み方は遅かった。日本髪に着物だった女性が、洋髪・洋装が主になるのは戦後になった。また、印刷技術の発達や新しいメディアの普及が、女性イメージや美意識に大きな影響を与えている。写真の普及で、美人写真コンテストの開催や美人絵葉書などが流行し、新聞・雑誌の広告やポスターに女性が描かれた。

2 模倣と革新
石鹸や化粧など
石鹸や化粧など

白粉を塗って紅を差して、お歯黒や眉剃りなどの眉化粧という伝統化粧が続いた日本における”近代化”は、西洋の化粧や美意識との接触・模倣から始まった。
明治政府が華族の歯黒と眉剃りを禁止し、昭意皇太后が率先して止められたことで徐々に姿を消し、舶来品で高価だった石鹸が、明治10年代のコレラ流行による衛生意識の高まりと、国産品の品質向上によって少しずつ使用が広がる。
また化粧の多様かも進み、化粧水やクリームなどで用途や肌質別の商品が増え、美白効果といった機能訴求型の商品も登場する。

3 広がる化粧シーン
携帯用化粧セットなど
携帯用化粧セットなど

大正から昭和にかけ、女性の社会進出が進み「職業婦人」と呼ばれる働く女性が増えると、身嗜みとしての化粧が求められ、簡便さや携帯性も重視されるようになる。短い休憩時間に化粧直しができるアイテムとして「早化粧」「スピード化粧」の名で紹介されると、職業婦人以外の女性にも普及していきました。これによりそうした場面で使用される化粧道具が登場するようになる。

4 ルールからの解放
髪型の変化
髪型の変化

明治時代初期は、江戸時代の延長で未婚女性は「桃割」や「高島田」、既婚女性は「丸」などを結っていた。明治16年(1883)鹿鳴館が完成すると、ドレスを着て舞踏会に行く必要に迫られた上流婦人の間で、日本髪を洋風にアレンジした「夜会巻き」などの髪型が見られるようになり、日本髪より軽く、簡単に結うことができる「束髪」(そくはつ)が登場。その派生として、日本の女性の髪型に三つ編みを取り入れた初めての髪型「まあがれいと」なども見られるようになった。
「洋髪」の登場は「直毛の長い黒髪こそ美しい」という旧来の美意識に新風を吹き込むもので、快活な短い髪という新しい美を提案したという「断髪」は、モダン・ガールや女性文学者ら進歩的な女性が取り入れたそうだ。これって、言ってみれば「おかっぱ」だろうか。

この写真ではよく見えないけど一番奥に「まあがれいと」、手前の3つは左から「耳かくし」「桃割」「断髪」となっている。

Posted by ろん