8163 「当たり前」を明文化する違和感
先日、電車の車内で中吊り広告に並んで掲示されていた、一枚の告知が目に留まった。
「STOP!ポスター盗難」

車内ポスターなどへのいたずらや盗難はご遠慮ください、という趣旨の内容だ。
公共の場にある広告を持ち去るなど、およそ一般的な感覚では考えにくい行為だが、わざわざ専用の告知を掲示しなければならないということは、それだけ看過できない頻度で被害が発生しているのだろう。
最近は中吊り広告そのものが減り、車内の風景も時代の変化を感じさせるが、こうした「盗難」が目立つようになったのも、またひとつの時代の変化なのだろうか。
同じような違和感は、つい先日、羽田空港へ向かう高速バスを予約した際にもあった。
座席指定の画面で「窓際」を選択したところ、唐突に次のようなメッセージが表示されたのだ。
「ご案内:こちらの路線は、ご予約席の隣席が異性となる場合があります。よろしいですか?」

女性専用車両や特別な夜行バスでもない限り、公共交通機関で隣に異性が座る可能性など、あえて確認するまでもない当然のことだ。
しかし、この一文が必要とされる背景には、その点について誤解をしたり、後から苦情を申し立てたりする層が一定数存在するということなのだろう。
わざわざ言われなくとも分かるはずのこと。
そんな「当たり前」の前提を、あえて言葉にして確認しなければならない事態に、自分の持つ常識と世の中とのギャップを感じ、軽い違和感を覚えた。
先日の銀行窓口での「スマホ教室化」の話とも通じるが、現代社会では「誰もが知っているはずのこと」を共通認識にすることのコストが、どんどん上がっているのかもしれない。