7762 尾久自動車学校

先日青梅の吉野梅郷からの帰りに「尾久自動車学校」という自動車教習所を見かけた。
場所は中央線の東小金井駅近くにあるのに“尾久”ってなんだろう?…と以前から気になっていた。
で、検索してみると、やはり以前は、東京都北区の尾久駅近くにあったそうだが、現在の場所に移転したようだ。

自動車教習所といえば、それなりの広さが必要だと思うが、そんな場所があっただろうか…と思って、古い航空写真を見てみると1960年代ごろまでは、たしかに尾久駅近くに教習所があったようだ。
尾久自動車学校のサイトを見ると、「通うなら、やさしい教習所がいい」という、かなり親しみやすさを全面に打ち出しているような雰囲気を感じた。
公式サイトでのお客様満足度は97.7%だそうだし、Googleの口コミも、4.2とかなり高めだ。
もうちょっと調べみると、いろいろ興味深いことがわかった。
この尾久自動車学校は、都内で最も古い自動車教習所らしく、また、かつて校長だった塩地茂生氏は、自動車業界において、たいへん功績のあった人物だったようだ。
こちらに詳しく書かれているが、塩地茂生氏は、戦前から自動車教習に従事し、戦時中も軍用車両の教習を担当、戦後は自動車教習所の復興に尽力した、日本の最古参の運転教習指導員だそう。
1946年には焼失した尾久自動車学校を再建し、運転者教育の重要性を訴え、指定自動車教習所法制化への布石となり、外国の教習制度を視察し、日本の免許制度や試験制度にも反映されたという。
また、彼の信念は「経営者・指導員が変わらなければならない」というもので、指導員は教習生から選ばれるべきだとし、外見や知識、人格の重要性を説いたそうだ。
そして、自動車教習所を地域の交通安全教育センターとして位置付け、指導員の質向上とスーパーインストラクターの養成を目指したとあった。
そういった理念が、前述の「通うなら、やさしい教習所がいい」というコピーに見られるような考え方につながっているようだ。
車窓から、こんなに興味深い史実を知ることができて楽しかった。