7688 どこかにビューーン!で出かける(1日目・2/2)
ほっとゆだ駅に着いて、まずはこの駅最大の特徴である温泉に入ろうと思ったら、なんと一昨日から臨時休館となっていた。
理由を聞いたら、従業員の方が新型コロナウイルスに感染したからだという。
仕方がないとはいえ、なんてこった…。
気を取り直して、四半世紀以上久しぶりの街歩きをしてみる。
歩いたことがあるはずなのだけど、さすがにだいぶ忘れてしまっている。
ただ何度も来たことがあるのは夏で、今回のような雪の積もった景色はほとんど見たことがなかったから、思い出せないのも無理はないか。
今日はいい天気で、あちこちで屋根からの雪下ろしをしているのを見かけた。
伯母さんに電話したがなぜか出ない。これは困った。もう一人の叔母の家で過ごしているということは知っているが、家の場所を知らないのだ。
ほっとゆだの温泉で過ごせなくなったこともあって、時間があまりに中途半端になってしまった。
もうすぐ来る北上線に乗ってしまうという手もあったが、ほっとゆだの方に、湯川温泉に行ってみてはと提案されて、駅前に止まっていた乗合タクシーで行ってみることにした。
乗合タクシーが止まったすぐ目の前にあった高繁旅館に入ってみる。
日帰り入浴は、わずか300円だった。
しばらくは、お客さんもほとんどおらず、ほとんど貸切みたいな状態。
雪を見ながらの温泉はとてもよかった。
湯治のための旅館のようで、長期滞在している人もいるようだ。1階のロビーには、意味深な形をした何かの上から布がかけられていた。
叔母さんのところに行くため、タクシーを呼んでもらう。
タクシー待ちのあいだ、周囲の写真を撮っていたら、ふと充電ケーブルがなくなっていることに気がついた。
慌てて、もと来た道を戻りながら探していくと、玄関の入り口のところにあった。
気づいてよかった。
タクシーでほっとゆだ駅まで戻って、そこから伯母さんに連絡を取って家の場所を確認。
一番上の伯母さんとは、実に20数年ぶりの再会となった。
残念ながら、あまり時間はなくて、列車発車時刻に合わせてほっとゆだ駅に戻る。
ここからは北上経由で盛岡へ。
帰りは、運転席横の最前面に陣取って、車窓を眺めた。おそらく以前来た時も同じようにして、この風景を眺めていたはずである。
一面の雪の上を滑るようにして走る。
急なカーブや上りや下り坂が少ないため、比較的スピードを出す。
列車はそれほど混雑はしていなかったが、ほっとゆだ駅到着時点でも少し遅れ気味だったが、さらに遅れは増大して、北上駅には数分ほど遅れて到着。
盛岡行きの列車との乗り換え時間はほとんどなくなっていたものの、接続を待って発車となった。
普通列車での移動だったが、約50分で盛岡に到着。
ここも降りるのは初めてかもしれない。
盛岡も、他の都市同様、東口と西口の間は地下通路で繋がっているが、駅ビルと直結している分だけ、ずいぶんと使いやすくなっていると感じた。
あとから知ったが、さらに東西自由通路もあるようで、さすが岩手県最大の都市だけのことはある。
少し歩いた先に、北上川と盛岡を代表する橋があるということで行ってみた。
盛岡駅と盛岡市中心部を結ぶ開運橋だ。
付近を走る岩手県交通のバスは、国際興業のグループ会社に所属しているため、塗装が同じだ。
この旅行の最北端である新青森駅に到着。急いで、奥羽本線の青森行きに乗り換える。
きっぷはここまでで、青森から先の青い森鉄道は別運賃のため、新たにきっぷを買わないといけない。
ICカードでの乗車に慣れてることもあって、きっぷを買うのは少々面倒だ。
しかも発車時刻が迫っているのに、券売機は1台しかなく、しかも自分の前に1人が並んでいる状況。
とりあえず、最短のきっぷを買って、着いた先で清算することにした。
青森駅までは数分で到着。
ここからすぐに浅虫温泉方面の青い森鉄道に乗ろうと思ったが…ホームが閉鎖されていた。
どうやら運休しているようだ。
予定では、浅虫温泉駅前にある道の駅にある温泉に入る予定だったのに…残念…。
せっかく来たので、ちょっと付近を歩いてみる。
思った以上に雪が多く、行手を阻まれる。
八甲田丸に近づけそうだったので向かってみたが、途中からどんどん雪が深くなって断念。
別に立入禁止となっているわけではないのだけど、事実上それと同じになっていた。
青森ベイブリッジに上がって付近を展望できそうだったが、冬期閉鎖中のため入れず。
この青森ベイブリッジの開通日(1994年7月1日)に偶然居合わせていることもあって、この橋を見ると、ちょっとした親近感を覚える。
青森駅から桟橋までの連絡通路は残されたままのようだった。
一度くらい青函連絡船で函館まで行ってみたかったと思う。
ようやく、なんとか、八甲田丸に近づくことができたが、船内から何かを引き摺るような、妙な音が聞こえてきて、少し怖くなった。
時刻は21時くらいだったが、この付近の活動は、もう完全に終了しているようだった。
もう帰るしかない。