7620 杉野学園衣裳博物館の展覧会「花もよう」
東京都庭園美術館を鑑賞したあと、目黒駅の山手線を挟んで西口を越え、五反田方面へ歩く。
奇抜な服を着た若い子たちとすれ違う。
”ドレメ通り”で道路の左右に杉野学園の建物が並んでいる。

初めて訪問した博物館だ。
ちょっと時代を感じるこの建物は、夫の建築家の杉野繁一が設計しているという。
花をモチーフにした衣装や服飾小物の収蔵品展。今日は学園祭ということで、無料で鑑賞できる。
残念ながら館内は撮影禁止。
1階とかなり天井の低い中2階、2階が企画展示で、3階が十二単など杉野学園創設者である杉野芳子のコレクションが展示されている。
服飾などにまったく詳しくない自分からすると、正直とっつきにくいせいもあってか、ちょっとわかりづらかった。

ただ解説については、いろいろ気づきがあって興味深い内容だった。人類と花とのかかわりは古く、ネアンデルタール人のころまで遡るという。
日本においては、季節の変化に富んでいることもあり、また農耕を基盤とする民族性から植物への関心が強く、文学や芸術にもその影響が見られた。
解説のなかに、文学者であり植物学者でもある松田修の著書の引用があり、その内容が興味深かったので、ざっくり引用すると…
奈良時代には花を”鑑賞”する習慣が生まれ、平安時代には美の象徴とされ、室町時代には禅の影響で”悟り”を求めるようになり、江戸時代には花文化が広まって庶民生活にも定着するようになる。
そして明治以降、海外からも多くの花がやってくるようになった。
その後、飾られるのは温室などで栽培される西洋の花が中心となってしまったことで、花は季節感がなくなり店に飾られているものというイメージに変わりつつあるという。
より花が身近になったものの、これまでの日本における花とのかかわりは、かなり変わりつつあるのかもしれない。
日本の衣服について、奈良時代から染織品に植物模様が使われ、平安時代には貴族の衣装に植物を参考にした色が取り入れられるようになる。
そして、江戸時代には小袖に写実的な植物模様が広まり、大正時代には洋花模様が登場。
戦後にはフィンランドのマリメッコやイギリスのリバティといったブランドの花柄が人気を集めたとあった。
マリメッコはよく知ってるが、リバティというのは知らなかったので、ちょっと検索してみたら、小さな花柄を布地全体に敷き詰めた”リバティプリント”というのが有名らしい。
イギリスで花柄…といえば、以前鑑賞したことのあるアーツアンドクラフツを思い出すが、リバティはこの運動に深く関わっていて、その系譜が現在まで続いているようだ。