[社会の窓]旧小菅刑務所庁舎

社会の窓

以前から東京拘置所にある旧小菅刑務所庁舎を見てみたかった。

しかし、そう簡単に行けるわけもないところだが、この前の土曜日、ようやく貴重な年1回のイベントに参加することができた。

今回の見学をきっかけに、あらためてこの建物について調べてみた。

旧小菅刑務所庁舎
旧小菅刑務所庁舎

この建物を設計したのは、司法省会計課営繕係の技師、蒲原重雄。

彼が東京帝国大学工学部建築学科を卒業したのは1922年(大正11年)3月、そして旧小菅刑務所の着工が、1924年(大正13年)だから、ずいぶん若くしての抜擢だ。

しかし1932年(昭和7年)結核により、わずか34歳で亡くなってしまったことから、旧小菅刑務所庁舎は、出世作にして遺作とも言われている。

それにしても、これほどの若さで、これだけの規模の建物を任されるというのは、いまの時代はちょっと考えられない。

ちょうど、東京人という雑誌で、この建物と蒲原重雄を取り上げた記事があってそれを読んでみた。

彼は、落成式で「刑務所の目的は単に受刑者を一般社会から隔絶するのみに止らず、積極的に彼等の病患に向って治療の方法を講ずべきである」と述べ、実際に所内には、最新の医療設備、水洗式トイレ、房舎には採光と通気性を確保するためにトップライトと吹き抜けを設けるなどした。

「一国の文化水準は、監獄を見ることによって理解できる」との考えから、喜劇王チャップリンは、各国の興行の際に監獄を見てきたそうだが、そんな彼が、旧小菅刑務所を見て「世界一」と評したそう。

また蒲原は、前述の「一般社会から隔絶するのみに止らず」の考えにしたがって、職員と来客の動線を分離したり、新規の服役者が再犯を繰り返して服役している者から悪影響を受けないために講堂の座席を分けるという他の刑務所では見られない構造になっていたりと、さまざまな工夫が盛り込まれていた。

また、都市を復興するためには「外形の再建」を可能にする科学の力だけではなく「生命の建設」のための芸術の力が必要であり、建築家は「科学者であると同時に芸術家でなければならぬ」と説いたそうだ。

もし彼がもっと長く活躍していたら、どんな建物を作ることになったのだろう。

Posted by ろん