7564 あたらしいげんばく展
“現在の核の脅威”に焦点を当てた企画展「あたらしいげんばく展」を見学するために、東京大学へ向かった。
眼科の検査以外で東大に行くのは久しぶりだ。
小学生のころ、立て続けに核戦争に関連したテレビ番組が放送され、それがあまりに衝撃的だったのをいまでもはっきり覚えている。
調べてみたら見つかった。
まず1984年8月5日 にNHK「21世紀は警告する/核戦争後の地球」を視聴したようだ。
さらに、同年10月21日にテレビ朝日『日曜洋画劇場』で放送された「ザ・デイ・アフター」を視聴したのだと思う。
それはもうトラウマに近いくらいの衝撃だった。
長崎が身近だった自分にとって、けっして遠いできごとではなかったというのもある。
展示は、まず、現代の都市で核兵器が使われたときの影響について解説している。淡々と語られると、あらためてその怖さを感じる。
続いて、渋谷のスクランブル交差点でスマホをかざすと、3Dのキノコ雲が現れる映像が紹介されていた。
モニターの脇には、こんなコメントも貼ってあった。
「このARだけでは、キノコ雲の中で何があったか伝わらないよ。」
「原爆はこんなんじゃなか。」
「被爆体験を語るには絵が綺麗すぎる。」
こうした意見は、制作者も当然認識していたことだったとは思う。
これは、日常生活において、まったく実感することのない核兵器の脅威を実感するための、あくまで“きっかけ”なのだ。
もし核兵器が使われたら、どれくらいの被害が出るのかをシミュレーションできるようになっていた。
核兵器の脅威を、黒い風船で表したインスタレーションには、「衝撃を加えないでください 破裂の可能性があります」と書かれていた。
これが、いま目の前にある風船のことを指しているのか、それとも世界に散らばる核兵器のことを指しているのか、それとも両方のことを指しているのか?
毎回話題になる宝島社の戦争に関連した企業広告が紹介されていた。
あらためて読んでみると、考えさせられることばかりだ。
「現代の被曝遺品」として展示されていたのは、粉々に壊れたスマートフォンだった。
現代の内容にアップデートされているようだったが、先日日航機墜落事故の遺留品のことについて触れたが、現代は遺留品から、個人を特定することは難しそうだ。
こうした事実を知らずして、核武装について語るべきではないだろう。バランスを取りながら、なんとか全体で減らしていけないだろうか。
さまざまな言葉が並んでいたが、奥のほうにあったこの言葉が、もっとも印象的だった。
核戦争を始めると決断した大統領を止める手段は、今のところ、ない。
とかくこうした活動に対して、批判的な意見が散見される。批判に対してもきちんと向き合っている感じがした。
伝えることの難しさをあらためて実感。
すぐに解決することではないが、まずは現実を知ることこそが大事だと思った。
議論をする前に、実際に起きたこと、そして起こりうることをできるだけ正確に認識しておくことは絶対に必要なことだ。
ここで展示されていることは、すべて事実だ。
現実に体験しないと分かりづらいが、さすがにそれはできないのだから、せめて現実を知ることから始めるしかない。