7529 所蔵作品展「MOMATコレクション」
今日は、東京国立近代美術館の所蔵作品展「MOMATコレクション」を鑑賞。
今日も、外は暑く、駅からここまで歩いてくるだけでも、一苦労といった感じだった。
相変わらず外国人の姿が目立つが、この暑さは、相当堪えるだろう。
所蔵作品展なので、これまで鑑賞したことのある作品が多いが、まず冒頭の「ハイライト」のコーナーで、新収蔵作品として紹介されていたこちらが気になった。
《渡船・雨宿芝山象嵌屏風》
これは「芝山象嵌」と呼ばれる技法で、貝・珊瑚・鼈甲・翡翠・象牙などを用いて、花鳥人物などに象り蒔絵を施した漆工芸のことだそうだ。
“芝山”で思い出すのは、成田空港近くにある芝山鉄道やその終点芝山千代田駅だが、まさに、その芝山のことらしい。
幕末には輸出工芸として発展した芝山象嵌の興隆期の貴重な作例がこの作品とのことだが、作者は“不祥”だった。こんなに素晴らしい作品であっても、名前を残すというのは難しいものなのかもしれない。
そして、毎回、戦争画のコーナーは、特に気になってしまう。
和田三造《興亜曼荼羅》
日本を中心としてアジアのあらゆる民族が共存共栄する共同体「大東亜共栄圏」を図像したものだそうだ。
バリ島、インド、タイ、ミクロネシア、朝鮮、中国などの建築や風俗が稠密に描きこまれている。
解説にあったのだが、その中心にあるはずの日本が、なぜかまったく日本っぽくなくて「西欧の古典」に依拠しているのが、とても興味深い。
一番目立つところを、あえてそうしてる意図とはいったい何だろうか?
藤田嗣治《薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す》
1944年(昭和19年)、フィリピンのレイテ島(フィリピン)で、アメリカ軍占領下の飛行場を奪還する作戦が計画された。
派遣されたのは台湾の山岳民族「高砂族」で、夜でも目が利き、敏感な感覚をもつ彼らは、ジャングルで戦う特殊部隊として訓練され、夜間でもわかるよう白いたすきをかけ、首から爆薬をぶら下げている。
結局、この作戦での生還者はいなかったので、藤田は想像力を働かせて描いているのだ。
しかし、この作品から感じるのは、勇ましさよりも悲惨さだ。
旧国立近代美術館で開催された「日米抽象美術展」(1955年4月29日―6月12日)という企画展を振り返る展示があった。
ちなみに、この展示の会場構成を手掛けたのは、当時東京大学工学部の助教授であった建築家の丹下健三だったそうだ。
才能のある人は、いろいろなところにで活躍するものだ。
そのときに展示されていた作品の紹介もあったが、気になったのは、抽象画を解説するパネルだ。
きっと、”抽象画”というものが、現在ほど知られていないので、それを説明するためのものなのだろう。
「抽象化のプロセス」として、順を追って丁寧に説明している。
けど、もう早々に訳が分からなくなってしまっていて、ちょっと笑ってしまった。