7519 日本航空安全啓発センター
1985年(昭和60年)8月12日に起きた「日本航空123便墜落事故」は、当時リアルタイムでニュースを目の当たりにしたこともあって、関連した話題を見聞きすると、とても気になってしまう。
この事故の風化を防ぎ、後世に伝えるための「日本航空安全啓発センター」は、社員や関係者のための施設だが、一般でも見学ができるということは、以前何かで知ってはいた。
ただ、予約できる人数枠がかなり少なく、また限られた平日のみということもあってこれまでなかなか見学する機会がなかったが、先日、たまたま23日15時からの枠が空いていたので予約した。
場所は、東京モノレール羽田空港線新整備場駅からすぐのところ。
著作権や遺族への配慮もあるのだろう。写真撮影はすべて禁止となっている。
見学開始の15時から10分くらいに集合という案内だったので、それに合わせて着いたのだけど、この時間までには、ほぼすべての見学者は全員来場済みだった。
見学はまず、これまでの日本航空がかかわる事故を紹介したあと、123便の事故についての解説がある。
係の方から、ビデオやパネル、そして事故により破壊された123便の機体の一部を見ながら、説明を受ける。
手前右側には破損した垂直尾翼が横倒しで置かれ、続いて、その奥には機体尾部、事故の直接的な原因となった、圧力隔壁が展示されていた。
修理ミスをしている部分の展示もあったが、その長さはわずか1mで、“たったこれだけ”の問題が、巨大な旅客機を操縦不能に陥れ、520人もの命を奪ったのだ。
その奥には、事故によって破壊された座席が3点展示されている。
一番右側の座席は原型を留めているものの、2つはひどい状態になっていて、特に真ん中にあった座席は、もはや座席の形状ではない。
シートベルトでここに人が座っていたわけで、その結末を想像すると胸が痛くなる。
さらに進むと、壁には大きく123便を上から見た座席マップがあり、乗客乗員524人がどこに座っていたかを示していた。
ほとんどのシートに丸印がついていて、満席状態だったことがよくわかる。
その手前に、持ち主が判明していない遺品が展示されている。
いくつも腕時計があったが、そのすべてが、墜落した18時56分を指し示したまま止まっていた。
その隣には、事故発生から墜落までの32分間のあいだに書かれた遺書が展示されていた。
相当揺れる飛行機のなか、懸命な思いで書き綴った、一文字一文字に、恐怖や無念さがこもっているような気がした。
墜落によって、わずか数センチほどになってしまった、多数の飛行機の部品も展示されていた。
これらは、事故原因の追及には“不要”なものでも、そこで亡くなった人の遺族にとっては、とても“不要”とは思えず、亡くなる最後まで共に過ごした大切なものとして集められたという。
事故から40年近く経つが、いまでも飛行機の部品などが見つかるという。
説明のなかで、日本航空がこの事故を教訓として、物事の本質を理解するために「三現主義」という考えをしているという話があった。
現地(事故現場)に赴き、現物(残存機体、ご遺品等)を見て、現人(事故に関わった方)の話を聞くということだ。
最後の“現人”について、事故当時在籍していた社員は、全社員の1%を切っているという。
そして、もうひとつ、こちらは強く印象に残った考え方が「2.5人称の視点」というもの。
「1人称」は、もしも被害者が「自分」だったら…という視点
「2人称」は、もしも被害者が「家族」だったら…という視点
もし事故起きたとき、この1人称や2人称の視点だけでは感情的になりすぎて冷静な判断ができなくなる恐れがある。かといって、「3人称」は距離が離れすぎ人に寄り添うことができない恐れがある。
そこで、「1人称、2人称」の視点を意識しつつ、「3人称」の専門性を備えた、「2.5人称の視点」という考え方が大切というのだ。
なるほど、これは、あらゆる仕事に応用できる考え方ではないかと思う。
実際JALグループに所属する人たちはみんなが飛行機の安全に直接かかわることはない。
むしろその人数の方が圧倒的に多いはず。
それでも、こうした施設で学ぶのは、まさにこのような仕事に対する向き合い方をあらためて考え直す機会のためだと思うのだ。
だから、自分も直接無関係であるのだけれど、こうした気づきを得られたのは、本当によかったと思った。
来年で事故から40年。
遺品として並んでいた時計は、いろいろな種類があったが、先日買ったばかりのApple Watchが増えてくると、遺品として見てもらえるのかな…なんて思った。
そして、遺書も、当時はペンを持参している人が多かったのだろうが、今はスマホばかりの時代。
もしも同じような状況になったら、スマホに入力することになるのだろうか…とか、いろいろ考えてしまった。