7420 企画展「アブソリュート・チェアーズ」
埼玉県立近代美術館は、”椅子の美術館”と自称してしまうほど、椅子に力を入れていて、ふだんから収集した椅子に座れるようになっている。
そんな埼玉県立近代美術館で「アブソリュート・チェアーズ」という企画展を観に行く。
「絶対的な」「完全な」「無条件の」といった意味のある、アブソリュート(absolute)だが、本展ではアートという視点から椅子の絶対的な魅力を考察したという。
まず、入口の吹き抜けにあった作品からして、おもしろい。
ウィルスを思わせるが、よく見ると、ぜんぶ椅子でできている。
「コミュニティの象徴であるはずの椅子が外部に閉じて」いる。
写真撮影は作品によって異なっていた。作品からちょっと離れたところの壁にある説明(キャプション)にその可否があるためにちょっとわかりづらかった。
大きく5つの章に分かれている。
「第1章 美術館の座れない椅子」では、椅子の機能を失った作品が紹介されている。
椅子はただ座るだけのものではなく、その座る目的、座る人や立場などで、その意味合いが大きく変わってくる。
椅子が“座る”という機能すら失ってしまったとき、椅子の持つ“意味”が見えてくる。
岡本太郎《坐ることを拒否する椅子》は、解説を見なくても作品を見ただけで作家が誰かがすぐわかる。
実際に座ってみると、その名の通り、かなり座りづらい。
高さは座るのにちょうどいいくらいなのだけど、お尻に妙な抵抗がある。
「第2章 身体をなぞる椅子」では、アンナ・パルプリン《シニアズ・ロッキング》という作品に「誕生と老いを象徴するロッキングチェア」との解説。
老いによって足腰が弱まると座っている時間が長くなる。
ロッキングチェアはゆりかごに似て、動きにくなった身体を優しく揺らしてくれるとあって、なるほどと思った。
第3章では、権力の象徴としての玉座、死刑のための電気椅子のように、座る目的ではなく「権力を可視化する椅子」を紹介。ケスター《肘掛け椅子》は、実際にアフリカのモザンビークの内戦で使用されたソ連製銃器などを解体して作られた。
第4章「物語る椅子」では、本来の用途を逸脱してテーブルや物置など日常の生活空間に溶け込むように使われたり、定位置や特等席となる場合、椅子自体がそこにいたであろう人の不在を示す証になると紹介。
宮永愛子《siting for awakening chair 》は、樹脂のかたまりのなかに、何やら白い椅子のようなものが見えるが、これはナフタリンで作られていて、背後にある封印のシールを外すと、ナフタリンが気化してしまい、樹脂のなかに椅子の空間が残ることになるという。
作品の後ろに「waiting for awakening」とシールがあった。
名和晃平《PixCell-Tarot Reading(Jan. 2023)》は、同じ作者で同じような雰囲気の作品を見たことある。
テーブルの上にタロットカードが置かれているが、動物たちの作品と同じく、そのカードの絵柄を正確に読み取れない。椅子もそこに人がいたと思われても、痕跡を探すのは難しい。読み取れそうで読み取れないことを表現しているらしい。
第5章 関係をつくる椅子では、例えば、オノ・ヨーコ《白いチェスセット/信頼して駒を進めよ》のように、椅子を置くことでその場に人を集わせて”束の間のユートピア”を築くという手法など、他者との関係をつくる椅子の持つ機能を意識した作品が紹介されている。
椅子のさまざまな機能や力をあらためて知ることができて、とても楽しく鑑賞できた。