6844 誰かが訂正してあげられなかったのか
新宿の小田急百貨店がこれまでの場所での営業を終了して、その場所には超高層ビルが建設されるようだ。
また隣接する京王百貨店も再開発を発表しているから、現在の新宿西口は、完全に新しい建物に置き換わることになる。
これまで、新宿西口の変化の多くは、超高層ビルの立ち並ぶあたりから西のほうで、駅ビルそのものは意外とずっと変わってないイメージだった。
新宿西口地下広場から都庁までの動く歩道など、ちょっと薄暗い感じで、個人的には“新宿らしさ”が感じられる場所だったが、将来その雰囲気は大きく変わってきそうだ。
こんな記事を見つけた。
地下に施設があるのだから、換気塔が設置されて当然と思ったのだけど、あえてこうした記事になるからには、興味深い理由でもあるのかと思ったら…
坂倉は地形を活用して立体的な構造にしていくと同時に、地下空間を最大限に活用するために換気に対して細心の注意を払った。こうした意図から、新宿駅西口広場にはロータリーの中心部に換気塔が配置される。
当初、換気塔の配置をめぐっては、バスやタクシーなどの動線を邪魔するとの指摘があったものの、坂倉は地下通路や地下街を最大限に活用するのに必要と主張。道路整備においては国内で右に出る者はいないと言われた東京都建設局長(当時)の山田正男も、防災の観点から坂倉の換気塔案に賛成している。
ちっとも“なぜか”に答えてなくて、思わず、ひとりで苦笑してしまった。
換気塔を作るのに、バスやタクシーの動線に配慮したら、ロータリーの中心に設置するしか選択肢ははない。
実際、東京駅の丸の内側でも巨大な換気塔がロータリーの中心に作られている。
また、この記事では、事実誤認とも思われるところもあって…
現在のようにオフィスビルが立ち並ぶようになるのは、千代田区丸の内に立地していた都庁舎が移転してきた1991(平成3)年まで待たなければならない。都庁舎の移転を機に、西新宿には企業がオフィスを構えるようになり、オフィス街としての体裁を整えていった。つまり、新宿駅西口が名実ともに副都心としての風格を備えるようになってから、まだ30年ほどの歴史しか有していない。
実際は、1971年の京王プラザホテル竣工を皮切りに、次々と超高層ビルが建設され、新宿西口はまさに副都心としての風格を備えるようになり、その最後にやってきたのが、東京都庁舎といってもいいくらいだ。
新宿西口に建設された超高層ビルとその竣工年を並べるとこんな感じだ。
京王プラザホテル(1971年3月)
新宿住友ビル(1974年3月)
KDD本社ビル(1974年6月)
新宿三井ビルディング(1974年9月)
安田火災ビル(1976年4月)
新宿野村ビル(1978年5月)
新宿センタービル(1979年10月)
新宿NSビル(1982年9月)
ハイアット リージェンシー 東京(1980年8月)
新宿第一生命ビル(1980年8月)
京王プラザホテル・南館(1980年9月)
工学院大学(1989年7月)
新宿エルタワー(1989年7月)
新宿モノリス(1990年6月)
東京都庁本庁舎(1991年2月)
著者は、都庁舎が移転してくる前の新宿西口を知らないのだろうし、きっと、ドラマ「太陽にほえろ!」もリアルタイムで見たことはないのだろう。
太陽にほえろ!では、超高層ビルが至るところで背景として登場するあたり、当時から注目されていた場所であったことを伺わせる。
認識に誤りがあるのは仕方がないにしても、こうした記事を公開する前に、誰か指摘してあげられなかったのか…と思う。
せっかく興味深い話なのに、中身が間違っていると台無しだ。