[社会の窓]「分からない」を知る
今日は、あらためて、昨日鑑賞したリヒター展とその作品について、いろいろ調べた。
そのなかで、いろいろと本展やリヒターを紹介するサイトを見てみたが、どれも、かなり”理解”した内容ばかりで、わからないのは自分だけではないか…と不安にすらなってきた。
昨日も触れたとおり、楽しみ方は人それぞれなので、誰がどう感じようと自分とは関係はない。
ただ、ほんのちょっと見方を変えただけで、もっと楽しめることがあるのだったら、知らないのはもったいないな…とは思う。

珍しくこちらのサイトでは…
ただ飽きないことと、読み解けることはまったく違います。アンディ・ウォーホルの「ポップアート」のように、見て楽しめる人は少数派では? やっぱり筆者にはチンプンカンプンでした。
(現代アートの巨匠「ゲルハルト・リヒター」展で「分からない」を知る)
…とあって、よくわからないと感じる人もいるということに、妙に安堵してしまった。
ただ、あらためて思ったのは、この「わからなさ」が、一日たった今でも、頭の中でくすぶり続けているという事実だ。
これこそ、作品の持つ力なのだと実感している。