6820 ゲルハルト・リヒター展
東京国立近代美術館で開催中の「ゲルハルト・リヒター展」を鑑賞。
最初から理解は難しそうだな…という感じがしていたので、賛助会員として無料鑑賞ができなければ、観に来なかっただろう。
特に鑑賞の順番などは設けられておらず、比較的空いているところから観ていったが、やはり、いまいちよくわからなかった。
鑑賞する人たちは多く、なかでも特に若い人たちの姿が目立つ。
ほとんどの作品は写真撮影が可能なので、みんなどんどん撮っている。
それにしても、ここで観ている人たちのうち、どれくらいが作品を理解しているのだろう…と思った。
いや、たとえ理解できなくても、楽しめているか?と言い換えた方がいいかもしれない。
もちろん、楽しみ方は人それぞれではあるが、作者は、観る人に伝えたいことがあるから作品を作っているのだと思う。
でも、その意味を、あらためて教えてもらわないと、まったくわからないとなると、どうなんだろう…とは思ってしまった。
今回、あえて、音声ガイドを利用しなかったので、よけいわからなかったのかもしれないけど。
今回の“目玉作品”らしい「ビルケナウ」を意識して鑑賞できたのは、事前に紹介サイトを見ていたからだ。
ホロコーストを題材にしたものらしいが、絵の解説もまったくないので、何も知らされなければ、他と同じ“ただの抽象画”になってしまっただろう。
描かれた作品とそれをそのまま写真とした作品が対になっていた。
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作品は、絵画だけではなく、ガラスを用いたインスタレーションや、写真も多かった。
写真も、抽象絵画のように、ボヤッとしているものばかりだ。
たしかに、このほうが、ピントが鮮明に合っているふつうの写真よりも、想像を掻き立てる感じはする。
彼の作品は、観るのではなく感じろ…というものなのかもしれない。
そう考えると、少し作品が違って見えてくるような気がしてきた。
それが具体的に何なのか…まだよくわからない。でも、もう少し時間が経って、また彼の作品に触れたとき、また違った印象を持つかもしれない。