発掘!明治初頭の列車時刻/曽田 英夫
- 発掘!明治初頭の列車時刻 - 鉄道黎明期の『時刻表』空白の20余年
- 曽田 英夫
- 交通新聞社 (2016/8/19)
今年は、日本に鉄道が開通して150周年だそうだ。
新橋ー横浜間で開業したという事実は知られていても、実際にどういった時刻で走っていたか…ということは、ほとんど意識してこなかったから、この話はとても興味があった。
本書によれば、明治5年の開業時のダイヤは、8時から18時までのあいだ毎時0分発で、新橋と横浜から、それぞれ1日9本運行していたという。
いろいろと気になるところもあるが、興味深いのは、なぜか12時と13時は走っていない。
お昼休みなのだろうか。
途中、品川、川崎、鶴見、神奈川の各駅に停車するが、全線単線なので途中の川崎で上りと下りの列車の行き違いがあり、所要時間は53分だった。
現在でも京浜東北線で40分弱は掛かることを考えると、相当速い。
その後、1年に4回もダイヤ改正が行われることもあるほど、こまめな変更があったようだ。
”お昼休み”が長すぎたのか、13時発が新設され、7時と19時にも追加される。
さらに、明治7年のダイヤ改正で、8時ちょうどが8時15分発となり、9時が9時30分発となったり…と、実際の需要に合わせて運行されるようになった。
もちろん12時の”お昼休み”もなくなり、12時発も運行され、終列車は22時発となった。
明治9年のダイヤ改正では大森駅が開業し、列車交換の関係から、発車時刻は00分とか15分といった、キリのいい時間ではなくなり、終列車の時刻も繰り下げられ、ついには新橋発23時15分発(横浜着0時18分)と横浜発23時22分発(新橋着0時25分)が登場した。
画期的だと思ったのは、これまですべて各駅停車ばかりだったが、初めて快速運転が行われ、途中大森と鶴見は通過となったことだ。
発車時刻といい快速運転といい、ずいぶんと現在の鉄道ダイヤと似た感じになってくる。
こんな遅い時間に行き来するなんて、いったいどんな人たちなのだろう?…と考えると面白い。
新橋横浜間を解説した第1章に続き、第2章は神戸から大津、長浜から敦賀といった関西地方の鉄道について、第3章はそれぞれがつながった東海道線の全通について解説する。
ただこのあたりになってくると、“数字ばかり”で、正直だんだん飽きてきてしまった。
東京を離れて各都市の距離感がつかめないうえに、写真も地図もまったく載ってないこともあって、理解が難しくなってしまったのだ。
後半になると前半にいろいろ紹介していたようなエピソードは皆無となり、ひたすら数字ばかり追う内容となってしまっている。
冒頭がおもしろかっただけにちょっと残念な感じだった。