[社会の窓]作品と同じくらい大切なこと
昨日、ポーラ美術館でさまざまな作品を鑑賞したが、そのなかで妙に気になったのが、「洗濯バサミは攪拌行動を主張する」という作品。
もうタイトルからして、ちっとも意味が分からず、”困惑”に近い状態だった作品を調べてみる。
作品自体も、大量の洗濯バサミが並んでいるだけで、そこからは規則性も感じられない。
これが制作されたのが1963年だそうだから、かなり古いのだけど、この作品にどういった意味が込められているのか、いろいろと探してみたものの、なぜか、どこにも解説がなかった。
ようやく見つけたのがこちらだった。
これを読むと、展示されていた当時、洗濯バサミが、キャンバスの外にも散らばっていて、それを鑑賞者が何気なく拾って持って帰ることがあったそうだ。
美術館に置かれた洗濯バサミという「芸術品」が、「攪拌運動」を続けた…というのが、このタイトルと作品の意味だったのだ。
これを知ってやっぱり意味を理解した方がいいとあらためて思った。
作品はただ感じればいいだけではないのだ。