6372 多様化しすぎて混乱
先日、宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」であることを“カミングアウト”したとニュースになった。
この「ノンバイナリー」という言葉について、いろいろ考えてみるのだけど、やっぱり、なんか落ち着かない感じがする。
男にも女にも性的指向がある「バイセクシュアル」でもなく、生まれてきたときの性と性自認(心の性)が一致しない「トランスジェンダー」とも違って、自分のことを女とも男とも位置付けていない人のことを「ノンバイナリー」というらしい。
バイセクシュアルや、トランスジェンダーというのは、考え方として理解できるし、それによって差別を受けることがあるという例があるのは理解できる。
しかし、このノンバイナリーというのはなんだろう?
これまでは、性別の定義は自分で決める…という意味で理解できたことが、それすら定義しない…となると、よくわからなくなって、ちょっと混乱してくる。
考えがまとまらないうちに、こんなニュースにも考えさせられた。
母子手帳は「親子手帳」じゃだめ? 父親たちの問題提起
父親として一緒に子育てに関わりたいと思っていたが、「母だけが妊娠・出産、子育ての主体であるかのような社会の認識」を突きつけられたように感じた。
もともと母子手帳の目的は、子供と出産する母親の健康を記録をするためであり、そこには差別というものはなかったはずだ。
だから、これは問題提起というよりも、問題を取り違えているように思えてくる。
そういう意味では、母子手帳とは”別に”親子手帳を用意すればいいのではないだろうか。
ここ最近、性に関する定義や考え方が多様化しすぎて、考えが処理しきれない感じがしてくる。