オリンピックと鉄道/松本 典久

■鉄道,龍的図書館

オリンピックと鉄道/松本 典久

2020年に開催される(はずだった)オリンピックに向け、鉄道でもさまざまな準備が行われてきた。

これまで日本で開催された3つのオリンピックでは、どうだったのかについて、詳しく紹介している。

本書は、東京、札幌、長野の3章に分かれていているが、そのうち半分以上を東京が占めている。

実際、1964年の東京オリンピックに向けた当時の変化は、極めて大きかったのは間違いないなく、東海道新幹線や東京モノレールの開通は有名だが、それ以外でもオリンピックに向けた準備として…

1964年6月7日京王線新宿-初台間の地下化が完成でマラソンコースが確保されたり、1964年5月19日根岸線桜木町-磯子間が開通で関内駅が最寄りの横浜文化体育館は女子バレーボールの会場となる…など、自分が初めて知った話も多かった。

指定券発券システムである、マルス101登場したのも1964年3月で、当初は1日3万席の処理していたが、東海道新幹線開通に合わせて、10月からはさらに増強したという。

変化は鉄道インフラばかりでない。

縦書き中心だった発車時刻表の横書き化、英文を併記した誘導案内標や発車標、英語による案内放送も。トイレの改修なども行われた。

興味深かったのは、GHQにによって指導されていた右側通行が、これをオリンピック開催期間中は左側通行に改めるようにされたということや、当時はまだまだ傷痍軍人やそれを装う人たちによる募金活動が残っていたことから、それを取り締まる発表もあったという。

GHQといい、このころは、まだまだ戦争が残っていたことを窺わせるエピソードだ(p.127)

鉄道ばかりでなく道路やバスなどにも触れられていて、当時の東京はほとんど地下鉄はなく、オリンピック開催2ヶ月前にようやく日比谷線が全線開通したくらいで、主な交通手段は都電だったから、オリンピック輸送には、専用バスなどを複合的に活用したそうだ。

輸送については概ね成功裡に終わるが、外国人観光客を熱海へ運ぶ臨時で運行した急行オリンピアは乗車率10%と低調だったというエピソードも初耳だった。

初の国産旅客機YS-11で聖火を輸送したことも紹介されていた。

当時はまだ量産機がなく試作機が使われたそうだが、なんとか晴れ舞台で飛ばしたいという思いが伝わってくる。

今回の東京オリンピックでも国産初のジェット旅客機MRJ(現スペースジェット)で聖火輸送をしようという構想があったのを思い出したが、実用化自体ほぼ断念されてしまったのは残念だ。

さまざまな変化を見て、当時と状況が違うとはいえ、変化をもたらすことがいかに難しいかということ、そしてそれを成し遂げたことのすごさみたいなものは、いまならとてもよくわかる。

続く2章は札幌オリンピック。

翌年に開催される札幌オリンピック開催を翌年に控えた、1971年12月16日初の地下鉄として、南北線北24条-真駒内間が開通し、両方の終着駅がオリンピックの会場となり、札幌駅からの重要なアクセスルートとなったそうだ。

3章は長野オリンピック。

こちらは北陸新幹線(長野行新幹線)の開通が記憶に新しいが、この新幹線の開通は、長野だけにとどまらず、日本全国の整備新幹線計画に多大な影響を与えたことは間違いない。

あらためて、オリンピックのもたらす力の大きさを感じる。

Posted by ろん