6273 後半のわずかな時間でFukushima50を観て
福島第一原子力発電所の事故を描いた映画「Fukushima 50」を福島県いわき市の映画館で鑑賞したのは、ちょうど一年前の3月14日だった。
機会があれば、また観たいと思っていたのに、今日地上波で放送するというのをすっかり忘れていた。
観始めたのがかなり後半からだったので、没入できず、少し冷静な感じで観ることになった。
そのせいか、ふと気になったことがあった。
それは、家族との連絡やり取りがすべて、いわゆる“ガラケー”だったということだ。


それもほぼ例外なく折りたたみ式の携帯電話で、スマートフォンを使ってる人なんていないのだ。
10年という時の流れは、あっという間だと思うけど、こういうのを見ると、やっぱり長いんだな…と思った。
映画の最後は、福島第一原発で陣頭指揮を執っていた所長が食道がんで亡くなり、その告別式と一緒に奮闘した同僚が回顧する。
亡くなったというニュースは映画になる前から知ってたが、この事故をもっとも語り継いでいって欲しかった方がこの世を去ってしまうなんて…と複雑な思いをしたのを、あらためて思い出した。
そして、福島県富岡町夜の森の、見事な桜並木が映し出され、映画は終わる。



その場面の字幕に書かれていた「復興五輪」という言葉に、つくづく物事はそう簡単にうまくいかないということ、想定とまったく異なる状況が簡単に起きてしまうことを実感させられたのだった。
そもそも日本の原発は、けっして重大な事故が起きないように設計されているのではなかったか?
日本が開催するオリンピックは、これまでにない都市型でコンパクトに開催されるのではなかったか?
もちろんいろいろな理由があるにせよ、まったく想定されない事態に陥ってしまった。
物事というものは、ちょっとでもうまくいったらラッキーくらいに思うのがちょうどいいのかもしれない…なんて思ってしまう。