[社会の窓]震災3653日目
10年前の今日も、いつもと変わらなぬ朝を迎えたと思う。
あの日もいい天気だったのはよく覚えている。
2011年3月11日14時46分…当時ビルの高層階にいて、収まらない揺れに恐怖を覚えた。
あれから10年。
“10年”という区切りは、被災者の立場からしたら、意味のあるものではないのかもしれないが、あらためて、振り返るきっかけとしては、意識する意味はあると思う。
10年後というと、ずっと先のような気がするけど、10年前というとあっという間だ。
同じ10年なのに、感じる長さはまったく違うなぁ…なんて、あらためて思う。
震災以降、これまで数回ほど、この日を意識して過ごす旅をしてきた。
しかし、今年はコロナ禍ということもあったし、どうしても外せない仕事が入ってしまったこともあって、断念。
地震発生の時間を意識して追悼するにとどめた。

10年前に地震が発生した時刻とほぼ同じくらいの東京タワーの様子は、当然ながら何も変わりはない。

震災当日の夜は、いつもと変わらなぬライトアップをしている感じがしたが、先端の部分だけがなぜか消えていた。
翌日分かったことだが、地震により先端部分が損傷していたのだ。
しばらくの間、曲がっていた先端部分が目で確認できるほどだった。
ときどき大きめな地震が来るたびに、ふとこのときのことが頭をよぎる。
震災というものは一度起きてしまったら、そこからずっと終わることはないないんだと思い知らされる気がする。