6272 “気の緩み”という言葉が嫌い

新型コロナウイルス,物思いに耽る(雑感)

こうしたニュースを聞くたびに、ちょっと嫌な気分になる。

気の緩みで東京の感染者千人超も コロナ、5月再宣言の恐れ

ほんと、いつまで“気の緩み”という言葉を使うのだろう。

そもそも“気の緩み”とはなんだろう?

ここで言われている“気の緩み”というのは、感覚というか雰囲気のようなもので、ある種の“同調圧力”のような気がしてしまう。

問題なのは、外出や外での食事ではなく、感染を拡大させる行為が悪いはずなのに、それも全部ひっくるめて、相当大雑把な“自粛要請”にしたがわないことに対して“気の緩み”と言っているような気がする。

人と人との接触を一切絶つことができれば一気に減少することもあるだろうが、それは不可能だし、ある程度の行動は許容されるべきだろう。

実際、それを許容しているから”自粛要請”にしているわけで、それに対して、”気の緩み”といわれるのが、どうもしっくりこないのだ。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐのが難しいのは、対策のための行動を一斉に行わないといけないということだ。

しかも日本国内だけではなく、極論すれば全世界の人々に対しても同じような行動が求められることになるなんて…。

人類の壮大なチャレンジは、いったいいつまで続くのか…。

これまでにないくらいの早さで実用化にこぎつけたワクチンに対して、それを帳消しにしようとしているかのようにウイルスが変異していくという状況を見ると、この戦いは終わらないんじゃないかと思えて仕方がない。

だから、よけいに、”気の緩み”なんていう軽い言葉で括れるような状況ではないと思うのだ。

Posted by ろん