6225 ”合成の誤謬”
テレビ朝日の報道ステーションで、菅首相へのインタビューをやっていた。
聞けば聞くほど、不安になるインタビューだった。

ひどい内容だったが、怒りよりも、まずあまりにも居た堪れない気分になった。
もしこれが自分だったら、あまりに恥ずかしくてそこにいられないくらいだ。
それほど、ひどいものだった。
別に追い立てられるような状況でもないのに、言葉に詰まったり、噛んだり、さらに、質問に対してまともな答えが返ってこないのだ。
自分自身へのインタビューなのに、会話が成り立ってないという状況が恐ろしいが、それを本人は感じていないのか、インタビュアーが感じさせないように腐心してるようなところに猛烈な違和感を覚えた。
忖度したりおべっかを使って、核心を突くインタビューになっていないという声もあったが、これが録画で行われるという時点で、すでにこうなることは運命づけられていた。
当然、放送前に首相側のチェックが入るし、質問に対してもまともに答えないのだから、結局は誰がやっても同じなのだ。
それにしても…と思う。
ここまで、不安を感じさせる人がこの国の代表者になってしまう不可解さ、なぜこの人が首相なんだろう?…って思ってしまう。
まるで必死さを感じない。
すべてどこか人ごとのような感じがするし、責任を取ろうとする姿勢も感じない。
そもそも、どうしても首相になりたかったという感じもしない。
そういった意味では、この人が一番なってはいけない立場にではないかとすら思う。
選挙で選ばれ、議員から選ばれて首相になるという手続きには、なんの問題もなく、適切だったことは間違いない。
正しいと思っていたことを積み重ねたことが”間違った結果”になってしまうという、”合成の誤謬”という言葉を思い出した。