6137 速報性の難しさ
こんな記事を読んで、なるほどと思った。
歌番組に「乱入」した閣僚の速報テロップ 問われた「急がない価値」
内閣発足の前夜の9月15日、ゴールデンタイムに放送された歌番組では、閣僚に決まる予定の政治家の名前を伝えるテロップが頻繁に表示されていました。歌番組の途中で速報を知らせる音が差し込まれる状況に、ツイッターで巻き起こったのが再放送を求める投稿でした。
閣僚が決まったことに速報性があるのか…という話で、災害などと違うという意見もあって考えさせられた。
たしかにその通りだけど、微妙だな…と思えることもある。
最近、ますます天気の変化が激しくなって“異常気象”にともなう情報や警報などが多く出されるようになってきた。
それに合わせて、テレビでは、いわゆる“L字型画面”で、その情報を逐次伝えるようになってきた。
今年の夏も、猛暑を伝える“L字型画面”で、各地の最高気温とか「こまめに水分補給を」といった情報が流されていた。
たしかに、命にかかわることだけど、どれほど意味とか効果があるんだろう…と思ってしまう。
数年前も、青梅線、五日市線、南武線、八高線の運休をL字型画面で流し続けていたことに、違和感を覚えたことがあった。
もちろん当事者にとっては大事なことで、緊急性、速報性もあるだろうけど、それを言ったら、キリがないわけで、その線引きはとても難しい。
そう言った意味では、観る側はそれを決めることができない。
固定電話を留守番電話にして、よけいな電話を受けないようにするように、こういうことが嫌なら、テレビも見ずに本当に見たい番組だけをネット配信などを通じて視聴するようになってくるのかもしれない。
テレビとしては必要だと考えていることと、視聴者の感覚と乖離していることのひとつかもしれないなぁ…と思った。