6038 ”経済的DV”
新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けない人なんてほとんどいないだろう。
それは、社会との接触を断った、いわゆる引きこもりの人たちも含めて。
そういった人たちについて書かれた記事が目に留まった。
引きこもり当事者の「10万円コロナ給付金」受け取りを邪魔する家庭の闇
読んでまず思ったのは、立場によってこれほど違う見え方や捉え方が違うんだなぁ…ということだった。
1人一律10万円の定額給付金が引きこもり状態にあることを理由に受け取れないのではないか?危惧が懸念されているというのだ。
最初、世帯主が申請する仕組みで引きこもり当事者は手続きしないのだから問題ないのでは…と思ったら、そうではなくて、家族に”使われてしまう”ことに対する”危惧”だったのだ。
引きこもりに至った理由はそれぞれあるだろうし、やむにやまれぬこともあったかもしれない。
しかし、引きこもりで生活ができているのは、経済的な支援があってこそだ。その彼らの生活を支えている基盤が脅かされいる状況に対する支援である定額給付金に対して、なぜ引きこもる彼らが、”危惧”を感じたり”家庭の闇”…そして”経済的DV”と呼んでしまうのか、理解ができなかった。
記事では、本人不在で物事が決まってしまうことに問題があると指摘していて、確かにそれは一理あるのだが、まず大前提として、引きこもることでの親の経済的負担を抜きに、定額給付金だけで語られることではないと思う。
そもそも、定額給付金はコロナ禍における経済的支援であり、もともと外出せず収入がなかった人たちに対して給付されるものではないというものだと思っていたが…
この10万円給付金の趣旨は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、国の緊急事態宣言を受けて自粛を強いられる生活を頑張った国民1人1人への、一律の救済策である。
と書かれていて、どこか”頑張ったご褒美”のように捉えられている感があった。
仮にそうだとしても、頑張ったのは引きこもる当事者ではなく、むしろこれまで経済的DVを受けてきた世帯主や親のはずだ。
DVという強い表現を使ってるが、世帯主からの本来の?”暴力”によるDVとは分けて考えるべきだろう。