暴君/牧 久
- 暴君:新左翼・松崎明に支配されたJR秘史
- 牧 久
- 小学館 (2019/4/23)
ちょっと前も似たような本を読んだな…と思ったら、同じ著者による”続編”だった。
本書は、”JRの妖怪”と呼ばれた松崎明という人物の半生をたどりながら、国鉄の分割民営化とその後のJR東日本の”闇”を暴いていく。
機関士に憧れた少年だった彼が国鉄に入り、職場で加わった組合活動や共産党に感じた矛盾が活動の原動力となったようだ。
もちろんイデオロギーに影響も大きいが、純粋な気持ちで組合活動を広げていくようすが受け取れる。
ちなみに、彼は東松山の高坂出身で川越工業高校卒業で、奥さんは小川女子高出身というところが、自分にとってもちょっと身近に感じてしまった。
頭でっかちな理論先行でもないところは、周囲の共感を得たのだろう。彼が若干23歳のとき、組合で青年部を結成しその副部長に就任する。
政治運動家小野田襄二に「初めて出会うプロレタリア共産主義者」と言わしめ、徐々に頭角を現し、ついには、国鉄の動労委員長にまで上り詰める。
そして、国鉄の分割民営化に対しては公然と反対していたにもかかわらず、突然、全面的に協力に転じたことで、分割民営化が一気に進んだ。
いわゆる「コペ転」(コペルニクス的転換)と呼ばれるこの行動…ふつう、主張を180度転換してしまったら、それなりの反発を受けたり、問題が起きるもので、そう簡単に受け入れられるものではないはずなのに、むしろそれを武器にして勢力を拡大していったのだ。
一方、当時、国鉄最大の労働組合であった国労は、衰退の一途をたどるところからしても、彼が、いかに先を読む力に長けていたかがわかるが、それと同時に、自分の価値を最大限に高めていく能力に驚く。
分割民営化に全面的に協力し功労者となった彼は、民営化後のJR東日本では自身の勢力を伸ばし、”影の社長”とも言われるほどになる。
ふつうの労働組合では考えられない事件も多数紹介されているが、これは、新左翼の活動と重なっている。
JR東日本も、彼を危険な人物と知りながら、蜜月の関係を続けていくところが怖い。
会社も組合も、組織や体制を維持するために、新しい労働組合組織の結成を徹底的に阻止してしまう。
言うことを聞かない場合は、本人にとって不本意となる部署や関連子会社へ出向させることも平気で行われることとなった。
結果的に、JR東日本にとって、松崎明を利用するつもりが、利用されていたのだともいえる。
1994年(平成6年)体質を取り上げた記事が掲載された週刊文春のJR東日本管内のすべてのキヨスクで販売しないという事件があったのは、うっすら僕も覚えている。
この異常事態は3ヶ月も続いたそうだが、その後、週刊文春は“お詫び”記事を掲載をもって“全面降伏”したことで、JR東日本の労使関係について振れることはマスコミ界でタブー視されることとなる。
松崎明がいくら院政を引いても、年齢には勝てないし、百戦錬磨だった戦い方も鈍ってくる。
会社との対立に対して“順法闘争”で闘うと言い出したことがあったという。
列車の運行にあたって、わざとゆっくり安全確認をするなどして、意図的にに時間を掛けることで、事実上のストライキをするのば“順法闘争”だ。
ストをしないことで会社と協調してきたはずなのに、結局、そうした戦術が選択肢に入ってくるあたりが国鉄末期に似てしまうのだ。
一昨年、JR東労組から、実に3万3000人が脱退したため、組合員数があっという間に3分の1になってしまう事件があった。
原因は、春闘での賃上をめぐって、スト権を確立して、ストを構えたことだったという。
社内での権力を恣にし、ハワイに自分の別荘を買わせるなど、人間というものは、ここまで変われるものなのかとあらためて驚く。
スターリン批判が、革マル派の起源ともいえるのに、その革マル派の最高幹部だった、松崎明が、結局、スターリンのような“暴君”となってしまうのも、前述の戦術とあわせて、歴史は繰り返すといおうか、なんとも皮肉なものだ。
かなりボリュームのある本だが、とても面白く読み進めることができた。
映画とかドラマ化したらかなり重厚な作品になりそうな気がするけど、どうだろうか?