[社会の窓]作風の変化を記録できなかったのは…
最近、写真撮影可能な美術館は企画展などが増えてきた。自分のように、こうしてブログなどで紹介したり、振り返ることがある者にとっては、写真が撮れるのは嬉しいものだ。
デジカメで写真を撮り始めた十数年前からすれば、隔世の感がある。
昨日行った東京ステーションギャラリーでの企画展も全作品が写真撮影可能だったそうだが、シャッター音が問題で後半のフロアが禁止となった。
企画展冒頭のインスタレーションは、作風の変化を示したものだったが、結果的に、晩年の作品は撮影できず、あとから後から自分なりの鑑賞をすることができなくなってしまった。
たしかに、写真撮影可能なフロアでは、あちらこちらからシャッター音が鳴って、正直、気が散ってしまう感じもした。
でも、ふと思ったのは、このシャッター音は、決して出したくて出してる音ではないし、フィルム式のカメラと違って、“わざと”鳴るようにできているということだ。
マナーが問われることがあるが、実は、写真撮影のマナーというよりも、勝手に付けられたシャッター音の問題だと思う。
実際、写真を撮るときも、それぞれが遠慮しあっているし、写真撮影自体がトラブルの原因ではないのは明白だった。
このシャッター音、世界でも日本だけ鳴るように作られている“自主規制”と聞いたことがある。
痴漢対策というのも、果たして本当だろうか?
本気で痴漢をするくらいなら、シャッター音くらいどのようにでも対応してしまうはずだ。
まさか、こうした美術展に痴漢の存在が影響するとは…。