ブラックボランティア/本間 龍

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ブラックボランティア
本間 龍
KADOKAWA 2018/7/7

2020年に開催予定の東京オリンピックが、大きな話題になるときは、前向きな内容ではなく、トラブルや問題のことがほとんどだ。

エンブレムの問題、国立競技場の問題などは、僕も気になって何度か取り上げたこともあった。

そして、いまかなり気になるのが、”無償ボランティア”問題だ。先日、ちょうど応募サイトについて取り上げたばかり。

これまで経験したことのないほどの巨大なイベントを、酷暑のなか、11万人もの無償ボランティアで対応しようとしていることに対して、”やりがい詐欺”ともいわれ、大きな話題になっている。

その火付け役ともなったのが、本書だろう。

最初、”ブラック”なボランティアについて、いろいろ取り上げているのかと思ったが、全編、東京オリンピックに焦点を当てている。

本書の主張は、無償ボランティア自体を否定しているわけでなく、莫大なスポンサー収入もある商業イベントなのだから、きちんと有償にせよというもので、とてもシンプルだ。

戦後間もなくの国や市が主体的に開催していたころのオリンピックとは違い、1984年のロサンゼルスオリンピック以降は、運営形態が完全に変わった。
アマチュアの祭典からプロの参加が可能となって、企業スポンサーも解禁となる。

五輪はアマチュアの雰囲気を残したアスリートたちの祭典のようにPRされているが、実体は高難度の技術を身につけたプロ選手たちが技を競う商業イベントであり、その運営は巨額のスポンサー料で賄われている。(p.87)

こうした商業イベントであるにもかかわらず、運営の要とも言える現場スタッフが、“無償の”ボランティアにするというやり方を批判している。

こうした批判に対して、誰も向き合おうとしない姿勢も批判の対象だ。

朝日、読売、毎日、産経の全国紙大手新聞社のすべてが大会スポンサーに名を連ねていて、批判がしにくい状態。新聞社の配下のテレビやラジオも同じ。

マーケティングを独占している電通の存在は、その影響の大きさから、批判を難しくしているという。

ネットでありがちな陰謀論は違和感を覚えるけど、一連の話の流れは辻褄が合ってしまう。

無償ボランティアに対して、どのように考えているかという質問に対しては、「紙面で報じたこと以外は答えない」という、いつものスタンスだ。

あらためて、ボランティアの条件を見てみると…。

1日8時間、10日以上従事できる人(その後5日以上に変更)
本番までに行われる研修に参加できる人
会場までの交通費は自己負担(その後1000円のプリペイドカード支給に変更)
遠方からの参加の場合の宿泊費は自己負担

そもそも、なぜ無償なのか?という根本的な理由が気になってくる。その問いに対して、大会組織委員会からは以下のような回答があったという。

一生に一度の舞台を提供し、多くの人々と感動を分かち合えるから
一丸となって五輪を成功させ、世界中の人たちと触れ合える場だから

まったく回答になってない。

感動を分かち合えたり、人と触れ合えるのだから、お金は我慢しろということか?

そもそもボランティアは無償でなければならないわけではない。

たしかに「ボランティア」に対するイメージとしては、自発性、無償性、非営利性、利他性、公共性などが挙げられ、無償という意識は一般的にあるが、今回の場合、そうした一般的なイメージ意図的に利用したのだろう。

それにしても、公共工事などは、国や自治体が支出している一方で、10万人を超えるボランティアは無償で…っていうことになると、莫大なスポンサー収入は、いったい、一体どこに消えてしまっているのだろう?

東京オリンピックに関しては、この問題に限らず、エンブレムにしても、国立競技場にしても、あらゆる分野で、このチャンスを“利用してやろう”という感覚が、見え隠れしてる。

本当に、いったい、だれのためのオリンピックなのだろう?

何度も言うが、招致を賛成していた自分を恥じる。

Posted by ろん