5435 死刑執行
そうか…ついに…というのが最初の印象。
その後、同じく一連の裁判で、死刑判決を受けた7名も今日死刑が執行されたということには、ちょっと驚く。
世界を震撼させた地下鉄サリン事件が起きたのは、1995年(平成7年)3月20日だった。
僕は、このとき、春休みを利用して、ママチャリで国道16号線を一周する旅を続けていた。
この日は、3日間の行程の最終日。朝から快晴。
宿泊した横須賀から横浜に向かう途中だった。
イヤホンでラジオを聴きながら、自転車を漕いでいると、レギュラー番組が中断され、とにかく大変なことが起きているという感じの臨時番組に挿し変わった。
当時はインターネットが一般に普及する前。
最新のニュースを、街中でリアルタイムで入手するには、ラジオくらいしか手段がなかったから、これ以上の情報を得ることはできなかった。
不安に感じながらも、とにかく自転車を漕いで、自宅に帰ったのを覚えている。
あれから23年。
そして15年前の、2003年4月の死刑求刑のときには、僕は、裁判にあまりに時間がかかり過ぎているという感想を書いてたが、それは、今回の死刑執行についても同じだと思っている。
しかし、なぜ7人同時だったのか? ということについては、軽い違和感は残った。
さらに、こうした話を読むと、何か隠されているのではないかという気がしてくる。
オウム死刑囚大量執行は口封じか…検察に全面協力していた井上嘉浩死刑囚の変心、再審請求に怯えていた法務省
もちろん、彼らが計画し実行した事実は紛れもないことだが、もしかすると、明らかにされれていない真実もあるのではないかという気もしてくる。
真相を決して語ることのなかった松本智津夫被告はともかく、ほかの死刑囚についてはもう少し考慮があってもよかった気がする。
実際、地下鉄サリン事件で、あんなに追い回していた容疑者が、裁判の結果、無関係であり無罪とされた事例もあるわけで、慎重になる必要もあるのかも…と思った。