5343 友達に国境はあるか?
世の中にはいろいろな考えがあって、それは尊重すべきだとは思うが、あまりに突飛な意見が出てくると、ひとこと言いたくなってしまう。
ちびまる子ちゃんの映画を配給した東宝と文部科学省のタイアップのポスターに対し、ある参議院議員が文科省に「猛省を促した」というブログ記事が話題になっている。
「友達に国境はな〜い」というキャッチコピーが問題だというのだ。
ブログでは…
私は、このポスターを見て、思わず仰け反りそうになりました。同省政務官時代に、国家公務員として、それも国家の継続を担う文科行政を担う矜持を持て。国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しないと機会あるごとに言ってきたのに・・・
(中略)
たかがキャッチフレーズ。されどキャッチフレーズ。一事が万事で、言葉に思想が表出するものです。国家意識なき教育行政を執行させられたら、日本という国家はなくなってしまいます。文科省の担当課には、猛省を促しました。
…とある。
あらためて、問題というキャッチコピーを読んでみる。
「友達に国境はな〜い」
そりゃそうだろう。友達に国境なんてない。
どこにツッコミを入れてるのかよくわからなかったが、取材を受けた本人によって、さらに説明(回答)があったので、それも読んでみた。
私が思ったのは、教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、「国境はない」という嘘を教え、誤認をさせてはいけないということです。国境は歴然としてあります。国家があってこそ、私達の平和で安全な暮らしが守られています。国家が発行するパスポートがなければ、出国もできませんし、他国へ入国することもできません。
え?
「国境はない」という嘘を教え、誤認をさせてはいけないということです…って、このキャッチコピーから、そんな誤認をするだろうか?
「国家に国境はない」といったら嘘だけど、ふつう、友達間で国境なんて考えるものだろうか?
この表現が問題だとするならば「友達には国境はある」ことを前提とすべきということになるし、いちいち国境を意識するってことは、むしろ外国人を差別したり、国粋主義的な考え方を助長することにはならないだろうか?
彼の主張を何度読み返してみても、腑に落ちないし、どこか折り合いがつくところはないかとも思ったが、結局、ある種の気持ち悪さしか感じなかった。
この猛烈な違和感はどこからくるのか考えてみた。
おそらく、国境という国家間のルールと、友達という個人間のつながりをごちゃごちゃにしてるから、こんな意見が出てくるのだろう…というのが、僕の結論だった。
文科省もこうした議員の対応をするのは大変だなぁ…と思うし、あらゆる場面で、国家や国境を持ち出してしまう思考しかできない人も、なんだか気の毒に思う。
根本的なところに解釈にズレがあるから、このままでは折り合いがつくことはないだろうが、今後、これが大きな話題になったら、きっと、自分の意見が「曲解された」とみたいなことをいうんだろうなぁ。