5173 富岡町を歩く(前編)
原ノ町方面の運行本数は、1日2本と変わらないが、富岡駅まではかなり増便されたおかげで、こうして、訪れることができるようになった。
始発の代行バスのせいか、乗客は僕ただひとり。
昨年は、こんな感じで、座席の最前列に置かれていた、放射線測定器は、すでに取り外されていた。
20分ほどで富岡駅へ到着。
駅前はどんな感じになっているのだろう?と思ったら、まったく何もなかった。このあたり一帯は、完全に津波で流されてしまったのだろう。
利用できるものがあるとしたら、トイレとベンチくらいだった。
駅舎は建て直し真っ最中だし、線路は敷き直され、並行して架線柱を立てる工事に入ってる感じ。
見渡す限り、何もない感じではあるが、よく見ると、やはり津波によって破壊されたものが見つかる。
無数の黒い袋は、処理前の瓦礫が入っているようだ。
とりあえず、海の方に向かって歩いていく。空間放射線量を計測するモニタリングポストがあったが、何も表示していなかった。
真っ白の巨大な建物は、さっき見掛けた瓦礫処理をする施設。
さらに海に向かうと、突堤が見えてきた。このまま先に行けそうだったので、そのまま向かってみる。
突端までやってきた。右の方を見ると、福島第二原子力発電所がよく見えた。
こんなに間近に見ることができるとは思わなかったので、ちょっと意外?だった。
ふと、途中で、ダミーの行方がわからなくなっていることに気がついた。
ただ、思い当たる節があった。
それは、ついさっき、海岸で転んだのだ。なかなか、ふだん転ぶことはないので、実際に転んでみると、意外と精神的なショックがあるものだ。
だから、とにかく立ち上がろうとして、周囲の状況が見えなくなってしまいがちなのだ。
ころんだ場所を思い出し、そこに戻ってみると、ちゃんとダミーは、少し砂に刺さった状態で、横たわっていた。
最初から平屋だったのでは?と思わせる建物や、ふつうはまず見ることのない、おかしな位置で曲がっている電柱、水回りの部分だけを残してなくなってしまった建物など…ふだん見慣れないものばかりだった。
バスの中から見えた、巨大な建物は、瓦礫を処理する施設の続き。
遠くから見ても巨大さは伝わってきたが、間近で見ると。それをもっと強く感じる。
これ以上は先にいけなさそうだったらので、また、もと来た道を戻り、ふたたび駅へ。
常磐線の線路際も、まだまだ津波の爪痕が残っている。あと半年ほどで、復旧する
街の方へ向かってみる。 → 富岡町を歩く(後編)