他人の不幸を願う人/片田 珠美

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他人の不幸を願う人 (中公新書ラクレ)
片田 珠美
中央公論新社 2015-06-10

by G-Tools , 2015/11/12

「他人の不幸は蜜の味」とは、昔からよく言われているが、この本の著者は、最近では、他人の不幸が「蜜」から「主食」となった…という表現していたが、まさに言い得て妙だ。

芸能人や政治家、著名人などに対する、トラブルやスキャンダル、バッシングが、ますます増えているような気はする。

インターネットの普及がこうした傾向に拍車をかけたのは、言うまでもないだろうけど、以前は、ネットを中心に閉じた世界で済んでいたところが、ネットに引きずられるようにして、週刊誌や新聞、テレビなどが後追いし、完全に世論の一部を形成するようになった。

著名人の不幸は醜悪なまでに追求したり、犯罪者は加害者どころか被害者までネットに晒したり…。

まるで、他人の不幸を願ってるようにすら思っているかのように。

こうした人たちは、いったいどういったタイプの人たちか?

精神科医でもある著者は、豊富な事例や症例を挙げて、リアルに分析をしている。

また、こうした人たちが増えている背景については、格差固定で募る不公平感や、自己責任への重圧などを挙げている。

まさに、現在の社会の問題そのものがそこにあるのだ。

もちろん、インターネットの存在が、彼らの欲望がむき出しにしてしまうことで、より事態を顕在化させている。

そして、こうした状況を生んでいる根底にあるのは「羨望」という。

イタリアの社会学者 フランチェスコ・アルベローニの言葉「羨望は同一視、賞賛から生じる。あまりに遠くの人、あまりに違う人、まったく別のことをしている人を羨望することはあり得ない」(p.34)

と言ってる。

最近、バラエティ番組で、芸能人が失敗談などを晒す機会が増えている。

もはや芸能人は特別な人たちではないのだ。

無意識のうちに、より身近に成りつつあるために、より強い羨望を抱くことになった…という意見に納得。

また、本書では、羨望についての本質を探ることを通じて、問題の処方箋も提示している。

フランスのラ・ロシュルコーの言葉「自分が欲することについて完全なる知識があったら、我々は何かを熱望したりしないだろう」(p.155)

…ということばを引用したように、羨望はしょせん一時のものであり、しばしば不公平感と結びついているという。

これに関して、すごく印象的な言葉があった。

「あなたがうらやんでいるあの人は、あなたから何かを取ったわけではない」

なるほど…当たり前だけど、確かにその通りなのだ。

羨望が強い人ほど、本来自分が享受するはずだった成功や幸福を他人に奪われたというふうに受け止めやすい…らしい。

100m競争で負けたとしても、買った人は自分から何かを取ったわけでもなく、勝者をうらやんで敵意や恨みを抱くのは筋違い。

勝ちたいのなら、自分の走るコースに集中するしかない。羨望にかかずらう暇はない…

すごく心に残った。

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