子どものまま中年化する若者たち/鍋田 恭孝
タイトルだけで、なんとなくこの本で述べられているであろうことが、想像できてしまった。
やさしくて傷つきやすい
不器用でグズ
素直で良い子
「消極的」で「真面目」
(かつては「積極的」で「いい加減」)
本書の中では、いまの若者たちを、こう評しているが、いずれも、どこか心当たりのあるものばかりだ。
そして、人生をあきらめきった中年のような生き方をする若者が増えているという。
精神科医として、子どもや若者と30年以上接してきた著者は、そんな彼らを「植物化する男子、クラゲ化する女子」と呼んでいる。
言い得て妙だが、確かにそんな感じだ。
言われたことは真面目委やるが、すべてにあきらめ、流されて生きる
人前にたつのが怖いという古典的な対人恐怖から、「ふれあい恐怖」「承認不安」
自分の世界にこもり、状況に漂い続ける…
こうした姿を次々と紹介されると、若者たちにの明るい未来が見えない。
もう僕は、若者と呼ばれる世代からは離れてしまってる(らしい)が、若者たちが感じるであろう閉塞感は、よくわかる気がする。
多少景気が上向いたとはいえ、高度経済成長期やバブルのころとは比べものにならないほどの低成長、就職もままならずに非正規雇用者ばかりが増え、超高齢化による医療費の増大、年金支給だって当てにならない…
こんな状況に、どうして期待を持てるだろう?
そして今は、大学までは至れり尽くせりの時代だ。夏休みの宿題ですら、大人たちがよってたかって”お手伝い”してくれる。
いじめなどもなかなかなくならないが、なんとか脱落しなかった若者は、大学での就職活動の段階になって、いきなり厳しい生存競争にさらされることになる。
これは、個人的な意見だけど、「いまの若者たちは…」みたいな言われ方が、以前に比べると、減ってきているような気がする。(”ゆとり”に対しては、ときどき聞くけど)
もはや、現代が、これまでの時代とはまったく異なり、同じ物差しで測れなくなりつつあることが、共通認識となりつつあるからではないか…と思う。
想像力は生活とは切り離されたファンタジーものに向けられている。そこに強い思いはない。豊かさは、子どもや若者から、手応えのある枯渇感や、これに伴う満足感を失わせ、元気さ、生き生きとした生物的なエネルギーを失わせたと考えられる。(p.155)
貧しかった時代…たとえば、 ただ、おなか一杯に食べるということにも、想像力を働かせていたはずだ。
しかし、豊かになった現代は、「生きる」と言うことに対して、想像力を働かせる機会を失わせることになった。
時代が悪い…なんて言いたくはないが、どうしてあってそういう面はある。
冒頭に著者が述べたように、現在は、「何もかもあるのに何もない世界」だ。
そうした人類史上、例のない世界に生きてることを考えたら、若者たちだって被害者なのかもしれない。
本書では、さまざまな若者が紹介され、なかには、ちょっと極端じゃないか?と思えるような例も散見されるが、それに近いような若者も、けっして少なくないのだろう。
また、ずっと読んでいる間、著者は若者に対して、批判的なのかな…と思いきや、むしろ逆であった。
考えなければいけない問題が大きすぎて、どうしたらいいかわからなけど、本書を通じて、若者の置かれた状況や傾向を再認識することで、よりよい付き合い方ができるようになってくる気がする。
いろいろと考えさせられた。