[社会の窓]抑止
12日、架線の支柱が倒れたことで、長時間にわたって、京浜東北線の運転は途中で打ち切られた。
通常のダイヤではなく、何らかの理由で列車の運転が止められることを、「抑止」という。
運転が打ち切られ、折り返しとなった、東十条駅で、しばらく様子を見ていたら、気になる光景があった。
それは、乗客たちが、意外なほど、この状況に気が付いていない…ということだった。
つまり、運転打ち切りを知らず、そのまま乗り続けようとする人が相当数いるのだ。
何度も繰り返し、東十条駅止まりで、これ以上列車は進めないという案内をしているにもかかわらず、まったく聞いていないのだ。
人の話はちっとも聞かれていない…ということを示している。
東十条駅に止まっている南行の列車にいたっては、早朝から、留め置かれて、数時間は止められたままだ。
この車内にも、少なからず、乗客の姿があった。
彼らはいったいどういうつもりで乗っているのか? 運転再開を待ち続けているのか、単に休んでいるだけなのか…?
こうした特別な事態に陥ると、ふだんからはあまり気付かないような、人々の姿を見ることができるような気がした。