4363 かつて歩いた場所が現場だった

社会・政治・事件

多摩川河川敷に、中学1年生の男子生徒が遺体で見つかった事件。

遺体に残った無数の傷は、結束バンドで手足を縛られた状態で、暴行を受けたことによるものらしい。

人間はどこまで残虐なことができるのだろう?

先日の、“イスラム国”で発生して人質事件の記憶が新しいせいか、事件の詳細な状況が伝わってくると、よけい胸が痛むような気がする。

防犯カメラに、事件に近いと思われる人物が写っているとの報道もあり、犯人逮捕は時間の問題だろう。

事件の真相については、その段階で本格的に調査してもらうべきで、現時点で、とやかく憶測で判断すべきではないと思う。

だから、こうした事件が起きると、すぐに湧いて出てくるこんな意見は、どうかしてるとすら思ってしまう。

「小さいころから殺戮をテーマにしたゲームやネットに触れている影響でしょう。『画面の中にあることを試したい』と思う子が少なからずいるのです。凶器を用意するのはアイテムを揃える感覚で、彼らとしてはあくまでも“試し使い”。だから殺すつもりがなく、逮捕されても反省の弁がないのです。殺人事件は今後、もっと低年齢化するでしょう」

この事件が気になったのは、残虐性もさることながら、事件の発生現場が、川崎の多摩川河川敷だったということ。

手前が現場と同じ場所(2009年6月13日)川崎河港水門(2009年6月13日)このあたりは、駅からハイキングや、23区一周のときなどで歩くので、比較的身近な場所だったからだ。

具体的にどのあたりだったのだろう…と、ニュースを注意深く見ていたら、どうやら、川崎河港水門付近だったようだ。

国の重要文化財にも指定されている水門なので、

現場には、2009年6月と2012年10月に訪れている。

訪れたどちらの日も比較的天気が良かったせいか、おだやかでのんびりとしたイメージを持った場所だった。

3年後に訪れた時もいい天気だった(2012年10月21日) この付近は穏やかなイメージ(2012年10月21日)

だから、そこが凄惨な事件現場となったということのギャップに、心のモヤモヤを強く感じずにはいられなかった。

Posted by ろん