[社会の窓]霜柱
ちょうど一週間前の先週日曜日、近所の公園には、びっしりと霜柱が立っていた。
東京の今朝は、それほどではなかったが、明日からまた冷え込みが厳しくなるというから、またこんな光景が見られるかもしれない。
子どものころ、霜柱を見掛けると嬉しくなった。
それはもちろん、愛でるのではなく、次々となぎ倒していくのが楽しかったからだ。
誰も踏んでいない霜柱を見つけては、片っ端から、踏んだり蹴ったりしていたものだ。
いまでも、そのころの感覚はしっかりと覚えていて、ふと昔に戻って、霜柱を踏みたくなる衝動に駆られる。
ふと思ったのは、この“踏みつけたくなる”感覚はいったいどこから来るのだろう?…ということだった。
いろいろ考えて出てきた結果…
これって、もしかして、綺麗なモノを壊してしまいたいというような、ある種の“破壊思想”的な発想に由来するものなんじゃないか…ということだった。
ふだんの生活ではまず決して思うことがないのに、自分の深層心理に潜んでいる衝動が、霜柱を見たときにだけ、突然顔を覗かせたのではないか…?
そう思うと、ちょっと怖くなる。
「いやいや、まさかねぇ…」
そう思いつつも、一瞬、自分の見たくない一面を見てしまったような気がしてならなかった。