4327 “風刺画”で思う
フランスの週刊紙「シャルリーエブド」編集部が襲撃され記者ら12人が殺害された事件は、戦後フランス史上最悪のテロ事件となった。
この事件をきっかけに、フランスでは、テロに反対する大規模なデモに発展している。
反対する主張に対抗する手段として暴力に訴える方法は、絶対にしてはいけないことだけど、その一方で、風刺画という方法で、相手を中傷することは許容されるものなのだろうか?
昔から、フランスには風刺画の文化があるというけど、相手を中傷することは、"風刺"なんだろうか?
そもそも風刺って…Wikipediaだと…
風刺(ふうし、諷刺とも)とは、 多くの場合、変化を誘発あるいは阻止する意図をもって、主題(人物、組織、国家など)の愚かしさを暴きだし嘲弄する、文章・絵画・劇・映像等さまざまな文化的領域で使われる表現技法である。
デジタル大辞泉だと…
風刺
[名](スル)社会や人物の欠点・罪悪を遠回しに批判すること。また、その批判を嘲笑的に表現すること。「―のきいた小説」「時代を―する」
この意味の説明には、ちょっと違和感を覚えた。
というのも、これまで僕自身が風刺画という言葉に持っていたイメージは、単純な批判ではなく、批判された側も納得してしまうような、含蓄のあるものを指していると思っていたし、風刺画によって、ときには、人々の気持ちをまとめたり、溜飲を下げたりする効果はあるものだと思ていた。
そう言えば、以前、ポンチ絵という言葉をたどったとき、風刺漫画について調べたことがあった。
あと、よく教科書にでている風刺漫画って、こんな感じのだ…。
これはとてもわかりやすい。
もっとも、風刺という言葉の意味だけを見れば、先述のように、社会や人物の欠点を批判する…という意味は理解はできる。
でも、だからといって、一方的に、相手を貶めることが、許されるかというとそれも違うと思う。
これまで問題となったという風刺画を見てみたものの、なにを訴えたかったのか? よくわからなかった。
よくわからなかったのは、もしかすると、宗教というものに縁遠いせいなのかもしれないけど、風刺されたほう、描かれた方の気持ちはわかる気がするのだ。
もし、自分の愛する人や尊敬する人を、辱めたり貶めるようなことを言われて、大人しくしていられるほど「できている人」って、いったいどれだけいるのだろう?
「表現の自由」が許されているということが、何を言っても許される…ということにはならないと思うのだけど…
でも、実際にはデモで、何万人もの人々が「私はシャルリー」と言い切ってしまうことの怖さを感じずにはいられない。
繰り返し言うが、けっして、反対する主張に対抗する手段として暴力に訴える方法を容認しているわけではない。
テロは絶対に認めない。その上での話だ。