4291 動機は“評価”
入院患者に、不必要な大量のインスリンを投与し、低血糖状態にした疑いで看護師が捕まった事件の続報を読んだ。
「高柳容疑者は女性の容体が急変するたび、医師の診断も仰がず、率先して回復措置に当たっていた。周囲は<なぜ低血糖発作と分かるのか>と怪しんでいたのです。捜査関係者は、高柳容疑者が“できるナース”であることをアピールし、院内の評価を上げようとした、とみています」(捜査事情通)
個人的な恨みのようなものがあったわけでもないのに、なぜ?と思っていたが、こんな理由があったとは…
ふだんから、評価というのは、とても難しいなぁ…とつくづく思う。
評価には、当然ながら、必ず「評価をする側」と「評価される側」がいる。
双方が、その評価の内容にしっかり合意できればいいのだけど、評価される側が不満を持つということは、往々にして起きる。
自分はこんなに頑張ったのに評価されない…とか、他人と比べると自分の評価が低い…というのは、よく聞く話だ。
より自分を高く評価されるように仕向けようとしたのが、この事件だったのだ…。
背伸びをして、無理矢理自分の評価を上げても、結局は期待に応えられず、そのプレッシャーに押しつぶされてしまうかもしれないのに…と、思うのだけど、そう思わない人も少なからずいるのかもしれない。
評価を上げるために、命に関わるような状況に巻き込まれるなんてたまったものじゃないが、ここまでひどくなくても、“付き合わされて”しまうと感じるときは正直ある。
意外と身近でも起きかねないのかも…とあらためて思うと、ちょっと怖い。