徳大寺有恒からの伝言/徳大寺 有恒

■交通,龍的図書館

僕は小さな頃から、ずっと自動車というジャンルはあまり好きではない。

理由はよくわからないけど、興味そのものがなかったが、自動車評論家という彼の名前と、ベストセラーとなった「間違いだらけのクルマ選び」だけは知っていたように思う。

この本は、気鋭の若手自動車ライター5人がそれぞれ徳大寺有恒と対談し、自動車業界の歴史と徳大寺自身の半生を語る。

豪放な人生と歯に衣着せぬ発言。

当然ながら、批判も少なくなかったはずだ。

自動車評論を始めたころは「それはお前の考えだろ、そんなもの読みたくない」と叩かれたが、公平な評論なんて世の中にあるのかと憤った…と本人も認めている(p.13)し、実際、「間違いだらけのクルマ選び」を出版するにあたって、現在の徳大寺有恒というペンネームにしたのは、自動車業界からの反発を避けるためだったと言われている。

しかし、当時は自動車が話題になることが大事な時代だった(p.22)ことを考えると、やはり彼の功績は大きい。

とても印象的だったのが、対談を終えた松本英雄のコメントだ。

彼が言うには、自動車技術の進歩はめざましく、徳大寺が活躍した時代と比べれば、現在は、箸にも棒にもかからないクルマなんてなく、そのため、現在の評論はどうしてもこうなってしまうという。

ある意味では些末な、趣味嗜好に関わる点について、あれこれ論じるほかはありません。

そして…

巨匠(徳大寺のこと)のお話を伺っていて、どうしても「うらやましい」という気持ちが生じるのを止めることができませんでした。「あのクルマはエンジンが全然回らなかった」「ブレーキを踏んでも止まらなかった」「まったく曲がらなかった」などというのは、もちろん言い話であるはずもありません。でも。今の優れたクルマしか知らない私と比べると、なんだかクルマの評価の深さが違ってくるように思われたのです。

たしかにその通りだろう。すごくよくわかる気がする。

「間違いだらけのクルマ選び」がベストセラーとなったのは、彼の強烈なキャラクターはもちろんだが、それ以上に、発展途上の自動車業界があったからこそであり、そういう意味では、もうこういった人物が現れることはないだろう。

国産車の黎明期から自動車の世界を知り尽くしているせいか、外国車に傾倒しすぎている感は否めない。

また、現在の感覚とのズレを感じずにはいられない記述もあった。

若者のクルマ離れが叫ばれて久しいが、彼は、その理由を「簡単に恋人ができるから若者はクルマに興味がない(p.26)」と語っている。

そんな、"巨匠"が今月7日に亡くなった。

この本が書かれたのは、今から6年前だが、読むタイミングは、まさに、いま…といった感じ。

そして、今月6日、時期を同じくして亡くなった、種村直樹も鉄道趣味の世界では"巨匠"と言っても差し支えあるまい。

彼は、自身を“レールウェイ・ライター”と称し、鉄道に関するさまざまな作品を発表し、ファンも多かった一方で、独特の作風や文体で批判も少なくなかった。

徳大寺と種村…両巨匠は、批判も多いながらも、いろいろな見方があるということを世の中に知らしめた意味は大きいと思うし、彼らのような人物が、今後現れることは、ちょっと考えにくいと思った。

まさにひとつの時代が終わった…のかもしれない。

Posted by ろん