4227 きっかけは、スーパーの駐輪場
先日、雑然としていた駐輪場で、白杖を持った若い男性が自転車に行く手を阻まれているのが目に入った。
「大丈夫ですか?」
目が見えていても歩きにくい駐輪場を、白杖だけを頼りに通り抜け、店内に入るなんて不可能だった。
店内まで案内しつつ、思い切って、あることを伝えた。
彼の勤務先は、僕がよく利用する駅が最寄り駅らしく、何度も彼の姿を見掛けたことがあったのだ。
「また今度見掛けたら、ぜひ声を掛けてください」と言われたとき、思い出したのは、彼が、信号待ちをする他人にぶつかっていたときのことだった。
このときは、つい声を掛けるのを躊躇っていたので、次回こそは、きちんと声を掛けようと思った。
その後は、彼を見掛けたときには、必ず声を掛けるようにして、いろいろと話をするようになった。
全盲の彼はひとり暮らしで、毎日遅くまで仕事しているという。
そして、これも何かの縁…ということで、今日は二人で飲みに行くことになった。
そもそも僕はほとんど飲めないし、ふだん地元で飲むなんてこともないから、お店選びもちょっと悩む。
お店の雰囲気やどういったジャンルのお店かを口頭で伝える。
あまりうるさいと会話しづらいので、静かそうな感じのお店に入る。
こうしたお店選びも、メニュー選びも、ほとんど人任せなので、多少違和感があったが、それ以外は当然ながら、いたって普通。
仕事の話をはじめ、先日の盲導犬や白杖がきっかけでケガを負わされた事件などにも話は及んだ。
当然ながら、いろいろと苦労もされているようだった。何気なく生活を送っていたら決して知ることのない世界だ。
興味深かったことのひとつは、IT技術の進歩や、昨今のペーパーレス化も、追い風となり、飛躍的に視覚障害者の社会進出が可能になったこと。
メールなどは、テキスト文字をパソコンや携帯電話が自動的に読み上げることで理解は可能だし、文字通りのブラインドタッチで入力も簡単だ。
そして、このブレイルメモと呼ばれる機械は、彼の必携ツールだ。
テキストデータを点字で表示したり、点字入力をテキストデータに変換したりすることができるし、データはUSBで転送もできる優れものだ。
いろいろと話をして思ったこと…
晴眼者(目の見える人)が見えている世界は、全盲の彼には見えないが、全盲の彼だけが“見える世界”は、晴眼者からは“見えない世界”ということ。
当たり前なのだけど、実は当たり前…というわけではない気がした。
そして、いろいろと話をして聞けば聞くほど、“お互いの存在を認めて行動すること”の大切さを知った気がする。
もちろん、これがとても難しいのはよくわかっている。
以前、僕が信号待ちをしている彼に何もできなかったということは、彼からしたら僕は存在しないに等しい。
「もっと積極的に声を掛けてほしい」という彼の言葉が印象的だった。
彼らからは当然見えないのだから、ハッキリ見える側からどんどん声を掛けていいのだ。
視覚障害は誰にとっても無縁のことではない。誰もがその可能性があって、いま見えているのは、たまたま…といっても過言ではない。
気軽に声を掛けることで、より身近な存在になることができれば…と思った。
今回、これまでのやりとりを、こうした記事にすること自体、若干の躊躇いはあったのだけど、少しでも、晴眼者と視覚障害者との接点が増えることを願い、彼にも承諾を得て、思い切って書いてみることにした。