4138 悲しみは、やりきれない怒りへと変わる
神奈川県厚木市のアパートで、5歳の子供の白骨遺体が見つかり、父親が保護責任者遺棄致容疑で逮捕された事件。
子供は、保育園や幼稚園に通わせてもらえないどころか、満足に食事すら与えられず、事実上閉じ込められていたアパートには、2トントラック2台分のゴミがたまっていたという。
父親は別居中の妻とは別の女性とつき合うようになり、養育を放棄、「いずれ衰弱して死ぬ」 という認識もあったという。
実は、昨日の朝、ラジオでこのニュースを聞いたとき、涙が出て仕方がなかった。
猛烈な異臭と空腹のなかで、耐えていたであろうこの子供のことを思った。
どんなに苦しかったことだろう?
どんなに悲しかったことだろう?
最期の言葉は何だったのだろう?
最期に見た光景はなんだったのだろう?
5歳なら、自分の身の上に起きていることが、異常であるくらいは感じていたはずだ。
そして悲しみは、この父親に対する怒りへと変わった。
きわめて不謹慎な表現であることを承知で言えば、淘汰されるべきは、逮捕されたこの男だったはずだ。
また、周囲や行政の責任がないとは言えない。
けれど、こういった問題は、事態が悪化するか、問題が大きくなってからでなければ、対処できないことが多い。
そして、その段階に至ってしまったときには、もう、その子供には、心に大きな傷を負っているはずだ。
そう考えると、よけい、この父親に対して腹が立ってくるのだ。
その一方で…
誰でも望めば、親になれるわけでもないのに、どうしてこういう奴の元に生まれてきてしまったのだろう?
神様は、もっとしっかりと仕事をしてほしい。