4099 傘のバトン
今日は退社がちょっと遅めだった。
夕方くらいに降り始めたらしい雨は、ようやく上がった。
なんだか少し疲れたのもあって、帰りの電車は、できれば座りたいと思っていた。
しかし、車内はすいていたものの、残念ながら席はあいていなかった。
仕方なく、ドア脇に立つ。
すると、お尻から腰に掛けて、何かが当たる感じがした。
座席に座っていた、中肉中背より太め…おそらく五十歳代の男性が、ドア脇の手すりに、突き出すように深く肘を掛けていたのだ。
ガツガツ当たる感じが不快で、少し距離を置いて立っていた。
その後、数駅進んだところで、男性が座席を立って降りていった。
空いた席に僕が座った。
すると…
手すりに、傘が引っかけられているのに気がついた。
おそらく、さきほどの男性の傘だろう。
発車メロディが鳴る。
傘を持って男性を追いかけたら…
…と一瞬思ったが、降りた駅でその男性を特定する自信はなかったし、せっかく座ってるのに降りてしまったら次の電車で座ることはまずできないし、そしてなにより、先ほどまでの不快な感覚の記憶もあったので、とりあえずそのままやり過ごすことにした。
さてどうしよう…?
自分が降りる駅で傘を届ける方法もある。
でも、忘れた当人から駅に依頼して駅員に遺失物捜索をしてもらった方が、早い段階で当人に届くので、あえてそのままにしておいた方がよい場合もある。
うーん、どうしよう…と思っていたら、血相を変えて乗り込んできた人がいた。
先ほど降りていった男性が、傘を忘れたことに気がついて取りに戻ってきたのだ。
もう列車は発車寸前。
僕は、とっさに、その傘を手に取り、腕を伸ばす男性の手に渡した。
そう、バトンのように。
つい電車の中で忘れ物をしてしまう僕が、忘れ物を防ぐ手助けができたわけだ。
ちょっといいことができた…と、先ほどまでの不快な気持ちはなくなっていた。