4091 デフォルト主義
先日会社で新しいパソコンが支給された。
WindowsXPのサポート終了にともない、OSをWindows7にするためだ。
操作体系はXPと7はだいぶ似ているので、それほど大変なことはないが、それでも、まだしっくり来ないところも多い。
こういうときは、自分の使うパソコンやスマートフォンを、自分の使いやすいように設定変更(カスタマイズ)するのは、ごく当然に行われていることだし、なかには、徹底的に変更する人もいる。
以前の僕も、どちらかといえばそういう立場だったし、それを楽しんでもいた。
しかし、ここ数年は、逆に、できるだけ避けるようにしている。
つまり、できるだけ変えない。
できる限り変えずに済む方法を模索するようになった。
というのも、考えてみれば、「自分が使いやすい」状況は、自分が意図したかどうかを問わず、自身で作り上げた、あくまで“慣れ”に過ぎないと思ったからだ。
今回の、WindowsXPのサポート終了のように、こういったITの分野においては、自分の意思と関係なく、強制的に環境を変えさせられることは、決して少なくない。
ときには、故障などで初期化させられて、初期設定(いわゆるデフォルト状態)に戻ってしまうことだってある。
そうなるたびに、自分の使いやすいように変更するという作業は、それなりに手間がかかるし、場合によっては、自分の望む環境になるとは限らない。
その最たる例が、ひらがな入力だtった。
キーボードを使い始めてから、ずっとひらがな入力だったが、ひらがな入力のできないスマートフォンに出くわして途方に暮れたものだ。
そのとき思ったのが、そもそも、パソコンを使うということ自体、あとから身に付けたもので、キーボードだって、たまたまひらがな入力を覚えてしまっただけで、結局は慣れに過ぎない…という、至極当然の答えだった。
自分に合わせるということによって、パソコンやスマートフォンを使う上での障壁を自ら作っていたわけだ。
「変えることがリスクになる」
そう思うようになってからは、どうやったら標準のまま使うことができるか?という意識に変わった。
我ながら、この考え方は合理的だ!と思ってきたが、ふと、「これって、機械に使われているってことだよなぁ…」と、ぼんやり思ったりもするのだけど。