4029 評価ってなんだろう?

社会・政治・事件

聴力を失った作曲家が、実は曲作りをしておらず、20年近く別のゴーストライターが作っていた…というニュース。

その後、さらに聴力を失っていたこと自体も嘘だったことが判明した。

佐村河内守:鎮魂のソナタ
佐村河内守:鎮魂のソナタ

この人物のについては詳しく知らなかったのだけど、「現代のベートーベン」とまで呼ばれ、これまで多くのマスコミで取り上げられていたようだ。

この一連のニュースを知って、とてもモヤモヤした気分になった。

もし…

代わりに曲を作っていた、彼のゴーストライターが、自身の名前で発表したとしても、ここまで評価されることは、決してなかっただろうなぁ…と思う。

結局のところ、評価というものが、作品そのものではなく、“人を見て”行われている…ということを、露呈してしまったわけだ。

逆に言えば、世の中には、素晴らしい作品が、日の目を見ずに埋もれ、消えていっているという現実を示唆している。

障害者バイアス…?

作った人物が聴力を失っている…ということが、作品の評価に上積みされていたというのは、障害を持つ人たちにとっては、決して本意ではないのではないか?と思う(勝手な想像だけど)。

まず大前提に、作品そのものに対する評価されるべきだろう。

当然、これは音楽だけにとどまる話ではないはず。

最近の例で言えば、新しい万能細胞の生成法を発見したニュースも方も同じで、発見された内容とは違う方向で話題になっている。

たとえば、なぜ、この人の初恋の話まで暴かれなければならないのか?

若い女性研究者バイアス…?

マスコミに伝え方にも問題があるのだろうけど、それを受け止める側にも、問題はあると思う。自分も含めて。

Posted by ろん