コンクリート崩壊/溝渕 利明
身近にあふれているコンクリート。
コンクリートと無縁の生活を送るなんて、不可能といっても過言ではないくらいだ。
でも、知らないことだらけだ。
コンクリートは、セメントと水の化学反応に(水和反応)よって固まるが、大きな熱が生じるらしい。そしてそれは、コンクリート内部に蓄積していくそうだ。
これは意外と大きく、例えば、100万立方メートル規模のダムの場合、1万世帯が1年間に風呂のお湯を沸かすことのできる熱量に相当するそうで、コンクリートの固まりであるダムは、実に、数十年もかけて熱が抜けていくそうだ。
コンクリートの性質や特徴、欠点など、そもそもコンクリートとはどういうものかということから、その歴史まで、あらゆるコンクリートについての情報をわかりやすく紹介している。
実はこの著者は、以前読んだ、わかりやすく書かれた土木に関する本の著者のひとりだった。
たとえ話もわかりやすい。
コンクリートだって、人間と同じように、病気にもなるし、当然寿命もある。
なのに、定期検診のような仕組みがなく、生命保険に相当する仕組みはない。
それだけに、コンクリートを使ってモノを作る場合、いろいろ悩むことになる。
たとえば…自分が橋を造る担当者だったら、どういった選択肢を選ぶだろうか?
- 要求性能ギリギリで満足できる建設コスト。その代わりに10年ごとに橋を通行止めにして大規模な補修を行う
- 建設コストは1.5倍になるが、要求性能以上の性能を確保し、建設後30年間は大規模な補修を行わないよう済むようにする
- 要求性能より少しグレードの高い性能で建設し、その代わり当初設計での設計耐用期間の2/3で掛け替えを行う
もし1を選択して、橋が造られ、その後、自分が担当からはずれたときに、きちんと補修をしていってくれるだろうか?
こういったインフラは、どうしても維持メンテナンスにお金を掛けられないことが多いように思える。
著者が、もっとも“熱くなった”のがこのくだりだった。「コンクリートから人へ」をキャッチフレーズにした前の民主党政権に対して徹底的にこき下ろしている。
前政権は、それまで手にしたことがなかった権力を手に入れたが、それをどう行使したらよいかわからないまま、とりあえずなにも考えずに、権力とともに握った国民の血税をばらまき始めたのである。しかも、そのときもっとも資金と人を注入しなければならなかった問題の一つであるインフラの整備と維持に対しては、反対に予算を削ってしまったのである。
確かにその通りだったと思う。
一方、ダム事業のように、建設に長期に時間の掛かるインフラに対しては、その間に環境が変わっていないか?引き続き必要とされているか?といった、チェックはあってもいいと思う。
先日の八ッ場ダムでは、いろいろ考えさせられた。
ただ前出の、維持メンテナンスに、もっとお金を掛けなければならないのは言うまでもなく、こういったことに対する支出に、国民がもっと関心を持ち、理解する必要はあるのかもしれない。
事故やトラブルが起きてから大騒ぎするのではなく。