3937 何のための裁判員制度だろう?

社会・政治・事件

強盗殺人などの罪に問われ、一審の裁判員裁判で死刑となった判決に対する控訴審で、高等裁判所は、裁判員裁判の死刑判決を覆し、無期懲役とする判決を下したという。

その判決理由には、強い違和感を覚えた。

過去の死刑判決の傾向について「被害者が1人で殺害の計画性がない場合には、死刑は選択されない」と指摘。「傾向に反して死刑を選択するには、一審判決は合理的かつ説得力のある理由を示していない」と述べた。

つまり、過去の判例から見て、1人を殺しただけで死刑にすることはできないというのだ。

そんなことは、言われなくてたって分かってる。判例と照らし合わせれば、良くも悪くも、そういう傾向になっているのは、素人の僕だって知ってる。

そういったことを承知の上で、裁判員たちは死刑という判断をしたはずだ。

こんな単純なことで覆ってしまうくらいなら、いったい裁判員制度とは何の意味があるのだろう?と思ってしまう。

それなら、もう裁判所すらいらない。自動的に量刑を決定したらいい。

2009年(平成21年)からスタートした裁判員制度で、以前からたびたび問題だと思っているのは、取り扱う対象の裁判が、なぜ重大事件となっているのだろう?ということだ。

ちょっと前にも取り上げたが、「痴漢は不可能に近いが、不可能ではないから有罪」といった、明らかにおかしい判決を見るたびに、、裁判員制度による判断があれば…と思うのだけど、法律の関係者の人たちは、どう思っているんだろう?

もっとも、裁判員裁判での死刑判決を覆した判断を下したのは、今回で2例目で、1例目も同じ裁判長だったことを考えると、ごく一部の偏った判断なのかもしれない。

もうちょっと様子を見てみることにしよう。

ちなみにこの写真は、裁判員制度が始まったころ、法務省前に掲げられていた制度が始まることを告知する看板。「裁判員 参上」という表記が問題となり、「裁判員 誕生」と書き換えられたあとの姿。

Posted by ろん