ピュリツァー賞 受賞写真 全記録/ハル・ビュエル

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ハル・ビュエル
日経ナショナルジオグラフィック社
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ピュリッツァー賞は、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられるアメリカで最も権威ある賞で、なかでも1942年に創設された写真部門(現在は、特集写真部門とニュース速報部門)の受賞作品は、その時代を、鮮やかに映し出している。 

個人的な思い出としては、もう15年以上前に、渋谷のBunkamuraで、ピュリッツァー賞の写真展が開かれていたので、見学に行ったところ、あまりの混雑にいったん諦めて、その後あらためて見にいったのを思い出した。

以前から気になっていたピュリッツァー賞受賞全作品を、こうしてあらためて見られるのはありがたい。 

やはり、どの写真も、訴えかけるメッセージの強さには、圧倒される。 

これらの写真は、その時代の空気を変え、時代そのものまでも変えてしまう力を持っているし、実際に変えてきた。 

初期の受賞作「硫黄島の星条旗」(1945年)は、非常に有名で、映画にもなったし、誰もが見たことがあるはず。 

「舞台上での暗殺」(1961年)は、社会党書記長浅沼稲次郎が立会演説会で刺殺される有名なシーンは、日本人によって撮影され、アメリカ人以外では初、当然日本人第一号の受賞だったという。フィルムは残りあと1枚というところで撮影されたというエピソードを聞くと、決定的瞬間がより貴重な瞬間に思えてくる。

そして、ベトナム戦争終結に大きな影響を与えたのも、報道写真だった。 

「爆撃からの逃走」(1966年)、そして、20世紀最も有名な戦争写真の1枚となった、「サイゴンでの処刑」(1969年)、「ナパーム弾から逃げる少女」(1973年)…これほど戦争のひどさを訴えかけた写真はないと思う。

「人間倉庫」(1971年)は、 アメリカ・イリノイ州で、予算削減によって、劣悪な環境に置かれた知的障害者のための学校を、この写真によって、白日の下にさらしたことで、ふただび予算が引き上げられ、議員たちが知的障害者たちへ配慮するようになったという。

その後、このカメラマンは、著名な風景写真家となり、環境問題に関する記事や著作は連邦政府を動かし、撮影された地域は国定公園に指定されるまでになったという。

写真の持つ力をうまく発揮させたカメラマンのいる一方で、その力に苦しめられたカメラマンもいた。 

「ハゲワシと少女」(1994年特集部門)の、死肉の匂いを嗅ぎ取ったハゲワシがうずくまる少女に近づく写真は全世界にセンセーショナルを巻き起こす。 
子供を救うより、写真を撮ることを優先するような写真家はハゲワシと同じという批判は、撮影者に精神的な打撃を与えたという。 

ピュリッツァー賞授賞式のあった翌月撮影者は自殺してしまう。 

どの写真も見応えがあり、その時代や写真が撮影されたときの状況など、興味深いエピソードが盛りだくさん。 

明るく楽しい写真もあるが、やはり、人間の苦しさや悲しさが全面に溢れた写真に目がとまってしまうのは、あまりいいことではないだろうな…と思いつつ、じっと見てしまう。 

この本を読んでいる間、NHKの放送開始70周年記念番組として放送された「映像の世紀」の、メインテーマ「パリは燃えているか」が、頭の中をずっと流れていた。

Posted by ろん